試験投稿
先般の旅で未踏県が島根・佐賀・長崎になったので、今年の冬はそこに行きたいと思っています。
2021年銭湯同好会の活動記録
今年行った銭湯です。個人的な趣味で温泉付きの銭湯ばかりはいっている気がします。
都内の銭湯については、最寄り駅と徒歩の時間を記しておきます。
1.姫之湯(箱根)
箱根の大平台温泉にある銭湯です。中はカランと浴槽のシンプルで、非常に熱かった記憶があるけれども、朝に入ったのですっきりしました。
2.錦湯(京都)
京都のど真ん中、錦通から入った路地にある銭湯です。この時は真夏で、泊まっていた宿がシャワーしかなく、調べていたらあったので入りました。中はすげえ古い感じで、靴入れ(靴箱ではない)になっており、日本の昔の銭湯はこんな感じだったのだろうと思い起こさせるものです。
3.改正湯(蒲田)
大田区の銭湯巡りをし始めて一回目をここにしました。大田区や品川区、目黒区の銭湯は、普通の水道や地下水などを使っているところもありますが、多くの銭湯が黒湯の温泉(温泉とはいいつつも成分的にそうであって、普通に冷たい)を使っており、その名の通り、湯が、場所にもよりますがコーラやコーヒーくらい黒いことを特徴としています。
改正湯は黒湯と、ほかに微炭酸風呂などもあっていろいろな風呂が楽しめるところです。
4.桜館(池上)
ここも黒湯を使っています。写真ではコインランドリーしか写っていませんが、この裏に入口があります。向かい側にちょっとしたお食事処があるのは気になりますが、行ったときは感染拡大中だったからか休業日だったからかは不明ながら、営業していなかったような記憶があります。焼きそばなんかがおいしいらしいです。
最寄り駅:池上駅、踏切を渡って徒歩10分くらい
5.ますの湯
銭湯というと、なんか古くて薄汚いイメージがある人は多いような気がします(偏見)が、この銭湯はすげえきれいです。最近リニューアルしたらしく、銭湯には珍しくサウナは無料で、さらにシャンプーやボディーソープも備え付け、さらに駅の目の前なので入りやすいところだと思います。また、例によって黒湯を使っていますが、色はやや薄いです。
最寄り:久が原駅、降りて右に曲がって線路に少し沿ったところ
6.清水湯(武蔵小山)
見た感じスーパー銭湯のようですが、¥480で入れる銭湯です。石鹸の類は備え付けはないものの、見た目にたがわず実際に風呂も大きく、内風呂の黒湯と半露天の黄土色の温泉という形で温泉が2種類あり、豪華です。ちなみに、前者は大田区などでもよく見られるもので、湧出域はおそらく浅いもののようですが、後者は地下深くボーリングしたら出てくるもののようで、しばしば「太古の海水」みたいに言われているものと多分同じようです。
最寄り:武蔵小山駅から徒歩10分程度
7.調布弁天湯
黒湯が多い大田区には珍しく、ここは黒湯ではない温泉です。メタケイ酸の含有量で温泉に認定されているようで、黒ではなく薄い茶色が特徴的なところです。その成分と熱いのが特徴的ですが、私はこの銭湯から出たらよく眠れたので、よく疲れが取れるのではないかと思います。
最寄り:御嶽山駅から雪が谷大塚駅方向に、池上線の線路伝いに徒歩5分程度
8.別府の温泉シリーズ
なんかめんどくさくて出していない旅行記をこれから書くので後でも出てきますが、とりあえず温泉総集編ということで出さないわけにはいかないということで、別府の温泉です。
別府市は言わずと知れた温泉の街で、まず駅前からして温泉が湧いている(手湯)状態です。なんなら近くの銀行にも温泉(といっても冷たい)が湧いているくらいで、市街地のショッピングセンターの地下にも足湯があったりするくらいにはたくさんあります。
まず別府の北浜温泉からです。北浜温泉は別府市街地にあり、交通の便の良さから多くのホテルが立ち並んでいます。いわゆるカプセルホテルでさえも温泉を引いて売りにしているくらいには湧出が多いようで、さすが別府温泉といったところです。
そんな中でもやはり銭湯というのはあり、市街地から少し外れた路地、付近には風俗街かなんかで客引きもいるようなところではありますが、立派な唐破風の建築物(写真は暗いのと入口だけなので全くそうは見えないけれども)を供えた竹瓦温泉があります。
面白いことに、竹瓦温泉は石鹸などというものはなく、純粋に風呂だけというところです。ただ、源泉かけ流しの浴槽には温泉成分が多く付着していたのが印象的です。
竹瓦温泉は海の方でしたが、同じ別府でも山の方に行くと、血の池地獄などが有名な鉄輪温泉があります。鉄輪温泉には、いくつか共同浴場のようなものがあり、100円くらいで入浴できるところがいくつかあったり、蒸し湯なるところもあったりいろいろ面白いところですが、私はたまたま目に入ったすじ湯温泉に入りました。ここも石鹸の類はない、というより使用禁止という徹底ぶりです。
ただ、行ったのが真夏だったこともあり汗で蒸れているので、さすがに気持ち悪いわけで、石鹸で体を洗いたくなったので、鉄輪温泉の山を下りつつひょうたん温泉にも行きました。
飲泉や吸引泉なるものもできたのでやってみましたが、熱いこと限りないので無理でした。ただ、飲泉の味はすげえ苦いお茶というか鉄というか、独特の味(婉曲)がしたので、飲むより温泉卵に使った方がおいしいような気がします。
9.奥多摩・もえぎの湯
ある日突然山奥に行きたくなったので、奥多摩に友人といったときに入った風呂です。
割と混雑していましたが、山(といっても道路沿いだけれども)を歩き回ったあとに入ったのでさっぱりしたのと、山奥の自然やその下に見える多摩川の景色を眺めながら入る露天風呂はなかなか良かったです。
10.志楽の湯(矢向)
いつも大田区の銭湯なので、たまには川崎にも行くかということで行ったのがここです。実はこの付近には黒湯の銭湯があったりします(道中に煙突が見え、そこに「天然温泉」と書いてある銭湯。今度行ってみたい)が、ここは先ほど触れたような、「太古の海水」を使った温泉です。それゆえ、コンセプトとして「縄文時代」があるようで、随所にそれを想起させる意匠が施されています。温泉自体はうっすらヨウ素の香り(イソジンの香りといってもよいかもしれない)がするものです。よく体が温まるのと、疲れがよく取れるような感じがして帰りは寝落ちする程度にはゆっくりできました。
最寄り:矢向駅の踏切を渡って徒歩10分程度。「天然温泉」の煙突は先述の黒湯の銭湯で、志楽の湯ではない。
11.さやの湯処(志村)
ふと板橋区の方に行ったことがないと思い立ったので行ってみた目的地でもあります。内湯と露天風呂があり、内湯は井戸水、露天風呂が温泉となっているようです。内湯は炭酸泉がよかったです。割と銭湯にもあったりしますが、たぶん私が入ったのはここが初めての気がします。炭酸泉は文字通り炭酸水を沸かしたものですが、38度くらいのぬるい湯でも血行が促進されるらしく、すぐ身体が赤くなります。一方で温泉の方は、黒湯ではなく、黄土色でもなくて鶯色をしているという点で、都内では珍しいものです。
12.乳頭温泉シリーズ(秋田)
これもめんどくさくて書いていない旅行記に後で詳しく書くと思います
①鶴の湯
JR東日本で「秋田県」の広告でしばしば出てくる温泉は乳頭温泉の鶴の湯です。すげえ山奥にあり、バスで行くところですが、私はケチったのと、山の大自然を感じたいと思ったので、「鶴の湯入口」バス停から延々と1時間程度山道を歩いていました。
秋田藩の陣屋かなにかが今では旅館というか客室となっており、宿泊もできるところですが、私は日帰りで利用しました。温泉には白湯、黒湯(といいつつも実際は白湯と比較して黒っぽい、というくらいで普通に白い)、それと混浴の露天風呂があります。言わずもがなですが、混浴露天風呂には男しかいないという事実はいいとして、この露天風呂の足元は気泡が湧き出ていることから、ここも実は足元で温泉が湧いていることがわかります。
ついで大釜温泉に行きました。外には足湯があったりしますが、カメムシが大量発生しているので死骸が浮いているような状態だったので入りませんでした。一方で中はというと、白濁しつつも薄緑色の温泉で、浴槽の壁には白いもの(いわゆる湯の花)が付着しているなど、成分は極めて濃いようです。
秋田の温泉は、ほかに玉川温泉があるらしいので、機会があればぜひ行きたいところです。
13.はすぬま温泉(蓮沼)
ここもリニューアルがあったようで、きれいな銭湯です。また、例によって温泉を使っており、黒湯の色が極めて薄いものとなっています。成分自体は黒湯温泉と同じのようですが、引湯しているところが深いからそのようになっているらしいです。浴槽は道後温泉を意識しているようで、特に湯が流れ出てくるところがそのような感じがします。(ちなみに道後温泉の浴槽は結構深いですが、ここはそうでもないです)また、石鹸の類も銭湯の割には備え付けらえているので、手ぶらで気軽に行けるのも魅力的です。
14.久が原湯(久が原)
黒湯を使っている銭湯。特に、ぬるいのと高温のがあって、特に高温の方はすげえ熱いので1分も入っていられないほど。高温のはサウナの間にあり、ぬるいのは奥の洞窟みたいな感じのところにあるので、雰囲気があります。また黒湯以外にも炭酸泉や、私が行ったときはレモンを入れた風呂などがあったり(期間限定)するなど、たまに行ってみたいところです。
最寄り:久が原といいつつも、久が原駅からは遠いし、池上本門寺には近いけれども本門寺自体でかいのであまり近くもない、かといって西馬込駅からもそれなりに離れているといった感じで、一番行きやすいのはバスです。洗足池駅や池上駅、大森駅や田園調布駅などから出ているバスで安詳寺前バス停降りてすぐ。
15.月見湯(下高井戸)
世田谷区の銭湯です。黒湯ではなく、鉄分が多く含まれているらしく、天然温泉を使った風呂はその沈殿物で赤くなっています。また、源泉は水風呂として使われていますが、こちらは結構な濁りがみえ、やや鉄の香りもします。入口は狭くみえますが、風呂は結構大きいです。また、シャンプーやボディーソープの備え付けもあるのが気軽に行けてよいと思います。
最寄り:下高井戸駅から商店街を通って徒歩10分程度
16.美しの湯(高井戸)
外見はマンションやスーパーなので、スーパー銭湯の類に見えますが、普通に温泉です。プールもついています(別料金)。温泉は深くからくみ上げられている、透明な茶色をした湯で、露天風呂と内風呂に使われています。内風呂には、温泉とジャグジーがあり、水圧マッサージの水圧がすげえ強烈で刺さるような感じがあって面白いところです。
最寄り:高井戸駅から見える程度にはすぐ。
17.蒲田温泉(蒲田)
蒲田の温泉といえば、という感じのところで、割と有名かもしれません。その割に普通の銭湯の値段(¥480)です。蒲田の温泉の例にもれず黒湯ですが、きわめて濃いので、ブラックコーヒー並みです。黒湯については高温と低温とありますが、低温の温度がもともと高いようで、高温と同じくらいある気がしますが、いずれもよく温まります。また、黒湯以外ではジャグジーがあり、人工ラドン温泉を作り出しているらしいのです。
最寄り:蒲田駅から環状8号線を渡って徒歩10分程度
ドイツ語文法のまとめのファイルを貼るだけ
表題の通りです。
【お知らせ】
概ねテキストに準拠しているので、不足ばかりあります。しかし、テキストにある分についてはだいたいまとめたつもりです。それでも不足があればお知らせください。
1ページ目にあるように、水色はテキストに出てきません。
私と同じ授業をとっている方は、①~⑳をご参考ください。
【訂正情報】
P.4:助動詞の過去分詞の部分、不定詞/過去分詞だが、不定詞を削除。他に動詞の不定詞がある場合には過去分詞ではなく不定詞を使う用法があるが、極めて限られているので。
P.6:eingekauftenをeingekauftに訂正。単純に間違えていました。
https://drive.google.com/file/d/1rae51MR66jTCZYgqUChuzoOPNjn7T2ET/view?usp=sharing
山梨旅行記
コロナ禍ですが、マスクを外さない、隙あらば手を洗うなどの対策をしたうえで山梨に行ってまいりました。ちなみに10日経ちますが、今のところなんともありません。
まずは山梨県立美術館です。山梨県立美術館はミレーの『種まく人』や『落ち穂拾い』といった作品を収蔵していることで知られていますが、私が行った時にはクールベの作品展もやっていました。
ミレーの『落ち穂拾い』は春夏秋冬があるらしいですが、ここに収蔵されているのは「夏」で、背景に積もった稲穂の山がほんのり赤く照らされています。さてこの落ち穂拾いとは何かと言いますと、もともと聖書にある故事で、裕福な農家が貧しい農民のために、穂をあえて全て摘み取らないで少し残しておくということだと風習のことで、ミレーはバルビゾンに来てその風習が残っていたことに感激したらしいとのことで、この作品を描いたらしいです。そもそもミレー自身そういった農民の絵をよく描く画家ですが、特にこうした貧農をあえて描くといったことは極めて前衛的であったので、当時の保守的なサロンではあまり評価が高くなかったということです。また、同じことは「種蒔く人」にも言えることで、やはりこれも農民の絵である点で評価が芳しくなかったのです。(と言っても例えばブリューゲルみたいに、ミレー以前に農民を描く画家はいたのは事実です。)
無論今では、ミレーのその画風、特に光の当たり方などに印象派の先がけを見出され、ミレーの評価は当時とは、特に日本においては全く異なります。日本ではこのように、山梨県立美術館が中心的にミレー作品を収集しています。
なお、写真に上がっているようにクールベも、ほぼ同時期の画家です。クールベは特に海をよく描いているような印象があり、もしかすると今回の展覧会がたまたま海ばかりだけだったかもしれませんが、暗く、しかしリアルな海の描き方が印象的でした。
さて、今度は甲府城です。甲府城は舞鶴城(もちろん京都の、港が有名な舞鶴ではない)とも呼ばれます。甲府駅のすぐ目の前にあり、甲府盆地の中で少し高い山(岡かもしれない)の上に建てられているという平山城です。そのため、上るのはすこし大変ではあります。2枚目の門の写真は鉄門と言われますが、2013年に復元されたものです。実際、甲府城に限った話ではありませんが明治時代に多くの城が破却されていまして、それゆえに甲府城には城らしい城の跡が残っていないのです。従って今の甲府城は石垣を除いて復元されたものではあります。
さて、甲府と言えば武田氏、特に武田晴信、信玄、勝頼の戦国大名が有名ですが、武田氏はこの場所に城を建てたわけではなく、この後出てくるように躑躅ヶ館を拠点としていました。この甲府城は、徳川家康の対抗のために豊臣秀吉の命によって建てられたと言われています。織田信長は徳川家康と同盟を組み、家康は三河以東、とくに当時強かった後北条から織田信長を守っていたわけですが、本能寺の変ののち徳川家康はそのまま三河以東、特に甲府あたりを領有したのです。すなわち家康は力をもっていたわけで、豊臣秀吉の全国統一に際して、さっくりいうと邪魔だったわけです。しかし、小牧長久手の戦いを経て家康は秀吉に服従し、さらに後北条氏が小田原落城で滅んだものの、甲斐は徳川家の領地のまま残ったのです。
江戸時代になると、甲府城に徳川義直とか忠長とといった徳川家が入るようになります。特に、5代将軍の綱吉は甲府城主の綱豊を養子にするなどしています。しかし、このように養子にとったことで甲府城は側用人の柳沢吉保の手に移ります。柳沢氏は祖先が甲斐出身だったからというつながりとのことでありますが、その子が大和郡山城に入封されると今度は幕府の直轄地になりました。
時は流れ明治時代、中央線の開通や山梨県庁の設置などで甲府城はどんどん削られ、史跡の公園として現在に残っている部分となります。
実際上ってみると、やはり高台にあるので、かつては甲府盆地を一望できたんだろうなとか思います。さらには、盆地の山の隙間からは富士山も覗くなどしていました。
さて、次に武田神社に行きました。今でこそ武田神社という神社にはなっていますが、かつては上述のように、躑躅ヶ館の跡です。躑躅ヶ館は武田氏の居館としてありました。
ところで居館とは、普段当主が住み込んで拠点としているところです。躑躅ヶ館は地理的にみると、いくら盆地にあるとは言えども平地にあります。すなわち、攻め込まれると守りようがあまりにも少ないので割と危険です。そのために詰城というのがあります。躑躅ヶ館の詰城は躑躅ヶ館の北方の山にある要害山城という山城があります。私はいきませんでしたが、本当に山奥のほうで登るのに一苦労する程度なので、なるほど防御もしっかりしていると思います。
武田神社は祭神として武田信玄が祭られています。さらにその性格上、武田家の様々な物品を保管している宝物館もあります。興味深いのは手水舎の水汲みが武田家の家紋の菱になっていたことです。すげえ推すなあなどと思いました。もう一つ、手水舎には算額がかかっていました。実物を見るのは初めて(と言っても割と最近作られた物ではある)でした。
甲府に一泊して翌日、小雨の降るなか身延山に行ってまいりました。
甲府からは同じ山梨県内といえども結構遠く、かといって静岡からもそれなりに遠いという、山の中にあります。
駅を降りてバスなり徒歩なりで身延山に向かうと、バスからだったので撮ることはしませんでしたが最初に総門が見られます。そこから境内(?)に入ると、典型的な門前町が並びます。
門前町はその名の通り寺の門の前に栄える商店街です。身延山では日蓮宗総本山ということで、巡礼や参拝目当ての客が多数あります(今回行ったときはほとんどいませんでしたが)。そうした相手に商機が見いだせるというので、飲食店街や土産物屋が数多く並びます。ちなみに、神社前に広がる商店街を鳥居前町と言いますが、これは例えば伊勢神宮の宇治山田とかがそれに当たります。
参道や門前町を抜けると、いよいよ久遠寺の本体にたどり着きます。こちらは三門です。それをくぐると菩提梯とよばれるやたら急でなおかつ287段もある階段が出迎えます。クソくらえバリアフリー…というわけではなくて、門前町で脇に逸れる道があって、そこから駐車場にいたる道がありますので、そっちに行けばよいわけです。
菩提梯は287段ありますが、287段は「南無妙法蓮華経」(日蓮宗の聖典)の7文字に合わせて、7分割されて踊場に当たる広い段があります。しかしまあなんと疲れることで、上に登りきることはできはしましたけれども、ど真ん中で下りるにも上るにも二進も三進もいかないような状況になりかけた程度には大変な階段でした。多分晴れた日だったらそんなでもなかった気はしますけれども、雨だと段が滑りそうになるくらいですからなのでなおさら大変です…という方のために、脇道があって、これはこれで急な坂ではあるのですが、一応階段よりは楽なルートもあります。
登り切ったら目の前に本堂があります。先ほどの階段は登り切ったら悟りが得られるなどという話はありますが、正直疲れたという感想だけしかありません。
ところでこの本堂の前に見える柱は回向柱と言いますが、そこには紅白のひもが垂れており、そのひもは、久遠寺の場合は本堂の中の日蓮上人の像とつながっていて、触れ合えるというものです。その昔池上本門寺に行ったときもあったような気がしますが、もしかすると日蓮宗に限らずなんかの記念のときに建てられる(例えば信濃善光寺など)ものなのかもしれませんが、よくわかりません。
さて、身延山久遠寺は、言わずと知れた日蓮宗の総本山です。日蓮宗と同じ時期にできた仏教は俗に鎌倉仏教などと言われますが、例えば曹洞宗は福井に永平寺や、浄土宗の本願寺(今では東西に分かれてしまった)などがあります。
日蓮宗は開祖が日蓮であるというのは言うまでもないわけで教義などは省きますけれども、すが、当時から活動は割と積極的な、あるいは過激な宗派だったと言えるでしょう。例ば時の執権・北条時頼に『立正安国論』を提出するなどしていますし、室町時代の日親は不受不施などを唱えるなどしています。しかし、その総本山は中部地方の山奥の身延山だったわけです。なぜここに落ち着いたのかというと、そういう積極的な政治への関与とその拒絶から鎌倉幕府に嫌気がさしたために、身延に移ったというわけです。そこにいる間は端折りますが、最晩年は病をして、湯治に行こうと常陸に行こうとしたところ道中でついに力尽きてしまったわけですが、その道中というのは東京にある池上本門寺の場所(当時は池上氏の館だった)ということで、今の池上本門寺は日蓮宗の大本山で、付近にある洗足池の名前は日蓮が休んで足を洗ったからという話に由来すると言われ、さらに池のほとりには日蓮宗の寺院があるなどしています。
久遠寺自体は並みの寺ほどの大きさに見えますが、実際は身延山全体が日蓮宗の関連施設です。すなわち、本堂のみならず各時代の法主が塔頭を建てまくったりしているので広いところではありますが、私はすこぶるくたびれていたので行きませんでした。一方で久遠寺の建物自体はたびたび焼失していることもあり、歴史はある寺院ではあるものの施設は新しい感じでした。また、本堂の向かいにはきれいで立派な納骨堂などがあり、全国から遺骨があつまっているようです。
さて、山梨の旅ということで、書くのに1か月かかってしまいましたけれどもこのような旅をしていたのであります。時期柄、感染予防は十分やってまいりまして、1か月たってなにも症状が出ておりませんし、山梨でも感染者数は増えていないので大丈夫だと思います。これからも様子を見ながら旅行に行けると思うので検討していきたいです。
小話
1日目の午後にズボンが股間で破れたことに気付いて修羅場になっていた
このブログの意義等々
別に深刻な話題なんかありません。ただ単に中の人が哲学科にいるというので、このブログの方向性などを改めて考えてみようという大したことない記事です。
①内容について
内容は従来通り旅行記と写真、それに関するどうでもいい話(主に歴史とか)なんか書き連ねていくのがメインかと思います。たまに哲学っぽいものを書きたいんですけど、なんか知らんがtwitterで間に合っちゃうんですよね、内容薄いので...
実は一つやってみたいことがあって、高くて仕方がないヒュームのご本の翻訳とか絶版になったロックのご本の翻訳みたいなのをやってみたいんですが、まあめんどくさくてですね...だいたい英弱なんでできるんだかできないんだか...分厚いし...あでもAn Enquiry Concerning Human Understandingsあたりあまりページ数多くないしやりやすいかなぁ...どうかなぁ...ってかんじです。その前に読んでくれる編集者的な人がいるんだかいないんだかなのですよ、コメント欄でできなくもないですが...
②更新頻度など
気まぐれなので頻繁だったりそうでもなかったりすることといたしましょう。わかんね。
③その他
noteには移動しません。めんどくさいので。あれって書いて読まれたらお金もらえるんですか?知らんけど
最近見る夢
最近見る夢というのはなんぞやというのは、実は続き物なのです。
いつかは忘れましたが、夢の中で私は裏カジノの現金輸送をやっていることになっているのです。それこそ某福本漫画のアソコみたいな感じですが、そこからカジノと同じグループが実は経営している銀行に現金を運ぶわけです。全く某福本漫画そのものです。
これがある日見た夢で、第一回にあたります。
しかしある日、私はあるヤクザグループに目をつけられ、マージンを要求されます。1%だかいくらかを帳簿を書き換えて、その分をそいつらに渡すわけですが、実は私もそのとき奴らに唆されて中抜きをする様になります。従って2%、そうは言っても運ぶのが大金なので100万くらいが引っこ抜かれることになります。未だバレてはいないのですがどうなるのかヒヤヒヤしているというところです。
これがついさっき見た夢で、第二回にあたるといえます。
さて第3回にはどうなるのかがきになりますが、もう見たくないので勘弁して欲しいです。
コロナ後にやりたいの
メモも兼ねてます。Twitterじゃ流れてしまうのだ。
意識高い人々が「ポストコロナ時代」なるものを提唱していますが、そんなの先に言っちゃ意味ねぇんですよ、だんだん変わってきたのを初めて気づいてそう言うものであって、先にそんなことを言うのでは、微妙なことだと思うのです。だいたいそんな区分なんて西洋的区分でしょ、途上国(なんていう言い方は嫌いなんですが)ではそんな近代だかポスト近代だかそんなのねぇじゃないですか、尚更アホらしいなぁって思うのです。第一東日本大震災後でもいろいろ変わるだろうと言われていたらしいですけど、せいぜい本当に変わったのは消費税率でしょ、そんなもんです。ポストコロナだかなんだかっていうよりも、今回ヘマしまくった研究者に対する反感からの反知性主義の台頭と知識及び政治への不信感をもっと恐れるべきなんじゃないかなぁって思うんですけどねぇ…
そんな前置きはこれくらいにしておきまして、私が勝手にやりたいことを列挙していきます。
さてまずは旅行です。当たり前だよなぁ!
具体的にはもうある程度決まっていて、まずは未踏の県(都道府は全部行ったので)に行くことです。
今のところ、秋田、石川、富山、山梨、岐阜、鳥取、島根、香川、高知、福岡のぞく九州、沖縄なので、ぜひ行きたいのです。特に山梨は近い割には行ったことがないので、コロナ明け一発目かなぁと思います。
離島にも行きたいのです。特に三宅島なんか今は目をつけています。三宅島含む伊豆諸島は夏に行くと混んで仕方がないので秋口に行こうと思ってます。そういえば、東海汽船のさるびあ丸はまもなく新造船になるらしいというので、それにもぜひ乗りたいところです。
東京の神社仏閣とか美術館博物館巡りもしたいのです。これは単純に興味です。せっかく東京にいるので、特に五不動と呼ばれるものは全部回ってみたいと思っています。
さて次には運動があります。
コロナ太りと花粉症太りが重なって毎年この時期は体重が増えすぎるのです。早く痩せなければ…
今年は水泳にも行きたいですね、昔水泳やってたので、腕は落ちているかもしれないものの、泳ぎたいのです。あとランニングです。これは単純に体力作りです。いつかスペインの巡礼の旅とかやってみたいのでね、そうでなくとも東海道踏破とかしたいのです。
コロナに関係なくともやっておきたいものが、語学とコンピュータ関係です。
一応コンピュータ関係はさらにプログラムミングとかやりたいなぁなんてのでやってみたいのです。論理学もせっかくやるので生かしたいというのもあります。語学は、スペイン語はスペイン巡礼をとりあえず目標としているので日常会話程度、ドイツ語はゴリゴリやりたいんですけど、多分語学は厳しいのでゆるくやりたいと思ってます。
とりあえずこんなもんです。