とあるツイ廃のブログ

ツイ廃が140文字で抑えきれないなにかをただかきつくるもの

桜と聞いて

今週のお題「桜」

ブログは1日1記事なんて決めるわけないじゃないですか、思い立ったらいくらでもやりますよ。

さて、桜と見かけたものでふと思い出したことで、魅力度最下位をひた走る茨城県、それもヤンキーの生息地の西のほうの話です。

筑西市というところがあります。そこに五行川という川が流れているのです。何をもって五行というのかは全く分からないところですが、流域には伊佐城という城があって、ここから仙台藩につながる伊達氏が出てきたところですし、もう一つ下館城という城があり、先の伊佐城が中館、もうひとつさらに上流に上館(久下田城か?)があり、これらは平将門の乱で将門と対抗した藤原秀郷の築いた城だといわれているところです。その川の土手には桜並木、また土手には菜の花が咲き乱れ、その方向を見てみると一面に田園風景広がる実に田舎らしい風景です。

 

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ぜひ行ってみるといいと思います

新元号に関する考察

去る4月1日、5月以降の元号である「令和」が発表された。そこで、様々な意見飛び交うこの元号に関して、私見を交えつつ考察してみたいと思う。

①「令和」の字に関して

令和というと、「命令の令」と言って説明するのが多い。やはりそこに違和感を感じるのは多いようであり、確かにそれはそうで、令の字はやはり人に何かをさせるという意味合いで用いられていることが多いのだ。しかし考えてみると、「令嬢」「令月」という用例(後者は特に出典における用例である)もある点で必ずしもすべてそうだとは言えず、つまり「良い」「素晴らしい」という意味合いを含むのである。中国語においてもどちらの意味合いも持つ。つまるところ「素晴らしい和」とかいう意味合いになるということであり、仮に命令しているととらえても、「和をもって貴しとなす」的意味合いを感じとることができるから良いと思うところである。第一、出典の意味合いは「素晴らしい」の意味合いなのだからそれに則って考えられるべきである。逆に考えてみたいことは、和を令されない(令されたくない)ということは和でない状態を望むということを暗に含むことと言えるように思われる。ところで、「巧言令色鮮し仁」(口達者とか脚色取り繕いあたりがうまいのは「仁」が少ないという意)に通じるからよくないなんてのも見るが、これは言いがかりに等しいものである。これに文句をつけるのであれば元号の最多出現を誇る「永」は「永眠」を想起させるし、また、そこそこ多い「享」なんかは「享年」を想起させるわけだから「令」のそれは実にばかばかしいイチャモンである。

②選考などに関して

元号は殆ど中国古典(春秋、論語詩経易経礼記などのいわゆる四書五経、あるいは漢書、隋書などの歴史書など)を出典とするものが多いが、令和に関しては日本の古書である万葉集から引用された。日本の古書に出典を求めるものは過去存在しなかった点である程度異例といえることは確かだが、しかしそれでもたとえば和銅武蔵国から銅が発掘されたことを祝う(和銅銅山、秩父市にある)もので、出典はないという点で実際出典は何でもよいものであることは明白である。(あくまで傾向があるというだけである)ここに関して、先のような中国古典から引用するのは伝統だから崩すわけにはいかないというのはやはり違うものである。一応補足すると、万葉集の当該箇所がそもそも引用であるという話で、いわば孫引き状態であるが、しかしそれでもやはり中国古典からの引用であるといえなくはないことは述べておく。これにもやたらイチャモンをつけるのがいるが、孫引きでも直接引用したのは万葉集である点でたいしたことはない。

さて、ここまでおおむね新元号に関して賛成の立場をとってきたわけだが、それでも一つ疑問があり、出典は「すげえいい春の日ですね」(超ガバガバ要約)というので果たして国の願いたる元号(過去の例なんか見ても出典の文を読めばその真意がわかるようなものである)に対しては果たしてどういうことなのかと考えてしまうところであるが、しかしそれでもやはりよく言われるように、令和年間が良い年になることを祈るばかりである。

 

 

新日本海フェリー乗船記と新潟

さて、前回「小樽から佐渡に行く」なんて書いた気がしますが、定期点検だかなんだかで行けなかったということで、苫小牧東港から秋田経由の新潟行きに変更しました。小樽からだったらさぞや積丹ブルーの海が綺麗であったことでしょうけれども、今回は仕方ないことです。

さて、苫小牧東港は西港とは違い、ハスカップの名産地・厚真町にあります。先日の胆振地方の地震で被災したところで、南千歳駅からのバスの道中も道路が被害を受けたのか、かなりガタガタと揺れていました。f:id:unknownhuman12340:20190313174613j:imagef:id:unknownhuman12340:20190313174758j:image

相次ぐ地震に対して、それでもなお復興を目指そうとする姿勢はぜひ応援したくなるものです。

さて、低気圧の影響などもあって1、2時間程度遅れての乗船です。今回乗ったのはゆうかり、2001年頃就航と、私と同世代の船です。姉妹船にらいらっくがあります。

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新日本海フェリー運送業を重視していて、深夜発深夜着というのが一般的なダイヤです。しかし、新潟発着に関しては夕方発昼までに到着という形で、北海道から新潟に行こうという時に有効に使えます。

今回は先ほど述べた通り勢力の強い南岸低気圧の接近で、ただでさえ荒れる冬の日本海がさらに時化て白波が立ち、かなり揺れました。下りても揺れている気がします。そのため、船旅の初心者には正直あまり向いていない気もします。船の風呂なんか見てたら面白かったです。海の波とともにゆらりゆらりと湯船の湯ごと全部動きます。風呂といえばサウナが付いていました。しかしその暑いこと暑いこと、湿気もありますけれどもそもそもが熱いわけで、1分もいられないような感じでした。(もしかするとさんふらわあさっぽろがぬるかっただけかもしれないが)

さて、苫小牧港を出て日本海に出る途中には津軽海峡を通るので、竜飛岬などが見えてしかるべきですが、深夜なので寝ていました。北行だったら昼間に通るらしいので見ることができるでしょう。日本海に出てまず見えたのは男鹿半島です。f:id:unknownhuman12340:20190313215851j:image海側に出ているのでよく見えます。そうこうする間に秋田港に到着しました。f:id:unknownhuman12340:20190315182624j:imagef:id:unknownhuman12340:20190315182633j:image1時間程度の停泊で、下船はできませんけれども、外からも秋田の賑やかさというのはよくわかります。秋田に関してはいつかまた行った時に詳しく述べたいと思います。

さて、そのあとは山形県沖を過ぎ、新潟港に着きました。f:id:unknownhuman12340:20190315184218j:imagef:id:unknownhuman12340:20190315184223j:image新潟もやはり港湾都市で栄えていますが、これは国際拠点港湾であることもさることながら、日米修好通商条約によって開かれた港(他は函館は和親条約から継続して開港、神奈川(横浜に変更。下田は閉港)神戸、長崎)でもあるからだと考えられます。そのような史跡も残っていますが、今回は訪れませんでした。ところで、先日ジェットフォイルがクジラかなんかとぶつかったことで話題の佐渡汽船も新潟港から出てはいますが、新日本海フェリーと場所が異なります。ちなみに佐渡汽船について少々述べますと、新潟港からの場合フェリーとジェットフォイル両津港まで、寺泊港から赤泊港直江津港から小木港にそれぞれ高速船が出ています。さて、港に着いた時は曇り(あるいは小雨)でしたが、20分くらい歩いて新潟駅に行こうとする間に雨どころか雪まで降り出したのは、やはり低気圧と低温の影響でしょう。

もともと小樽からで9時に着く予定でしたが、今回着いたのは17時頃とだいぶ遅かったので、佐渡金山などに行こうと思っていましたが、予定を全てカットし、何もせずに新潟駅に向かい、駅前のビックカメラなどをふらふら見たり夕飯を食べるなどということをしていました。f:id:unknownhuman12340:20190315192944j:image旅行したら現地の名産品をいただくという思想のもとコメは魚沼産のコシヒカリです。ちなみにこのセットを頼むとおかわり自由でした。

新潟は思いのほか結構栄えているところだということで、どのようなところかがよくわかりました。(田中角栄さんとか林家こん平師匠とかの尽力もあることでしょうけれども)今度またゆっくり来てみたいと思います。f:id:unknownhuman12340:20190315184906j:imagef:id:unknownhuman12340:20190315184910j:image

今回の旅行は悪天候で日程がかなり崩れる結果となりましたが、1日全部崩壊というわけではなく、午後からということで、退屈はしなかったということが救いでした。一応旅行はこのようなこともあるということは忘れてはいけないし、あるいはこういうことを十分考慮しなければならないということを改めて思い知らされたものです。今回はフェリー乗船が主となってしまったような感じがあるので、今度来る時は史跡やら博物館を巡ることを主にしたいと思います。

今回の旅行

さて、申し遅れましたが今回の旅行の目的と手段を申し上げます。

第一の目的は用事がある札幌に行くということで、せっかく行くんだったら飛行機じゃ面白くないと思い立ちましたのでフェリーで行ったと、そういうわけです。

第二の目的は帰りに寄る新潟です。佐渡金山でも見ようかというわけですが、先日の佐渡の高速船事故でいけるかが不透明です。行けなかったら別のところにします。

第三の目的はそれこそフェリーです。数あるフェリーに乗ってきましたが、商船三井フェリーは新造船になった後乗ったことがなく、新日本海フェリーはそもそも乗ったことがないということで乗ってみようと、そういうわけです。

さて、旅程に関して申し上げます。

①大洗発〜②苫小牧着〜札幌〜④小樽発〜⑤新潟〜佐渡島〜新潟〜⑥東京です。

最近の傾向として、高速バスを使うことが減ってきているように思いますが、今回は新潟〜東京で使います。新幹線でも良かったと思いますが、まあ高いの高いの、さらには新潟で遅くまで観光できないというのもあるため、例によって一番効率のいい高速バスが良いのです。一方で旅程には1回フェリーを組み込むことが多いと思いますが、これは入浴や宿泊を兼ねます。長旅だと風呂に入れませんので、銭湯を使うのも良いわけですが、むしろ交通手段と一緒にフェリーで入った方が明らかに効率がいいといえます。

さんふらわあさっぽろ乗船記

リアルタイム旅行記でございます。あらかじめ申し上げますと、カメラ壊れてある程度ピンボケなのでご理解とご協力をお願いします。第一日目、大洗から苫小牧までの商船三井フェリーさんふらわあさっぽろに乗船しました。f:id:unknownhuman12340:20190310201323j:imageさんふらわあさっぽろは、2017年に僚船のさんふらわあふらのとともに新造船に置き換わった極めて新しい船です。先代より速度が上がり、苫小牧〜大洗の時間短縮もなされました。夕方便は19:45に大洗を出港し、翌日13:30に苫小牧に入港します。

f:id:unknownhuman12340:20190310230959j:imageこちらは乗船券です。バーコード式になっています。びりっと破くチケットなんて時代遅れになったようです。乗船・下船券を兼ねているようで、下船時もこのバーコードをスキャンし、持ち帰ることができます。旅の思い出ということでしょう。さて、乗船するとこんな感じです。f:id:unknownhuman12340:20190310232252j:imagef:id:unknownhuman12340:20190310232310j:imagef:id:unknownhuman12340:20190310231535j:image
f:id:unknownhuman12340:20190310231546j:image高級感あふれています。また、今回ツーリスト(いわゆる雑魚寝)で行ったわけですが、各布団(?)にカーテンで仕切ることができ、プライバシーの類にも配慮されていました。

夕食はメインディッシュ(ハンバーグや冷しゃぶなどから1品)とサラダやご飯味噌汁、デザートは食べ放題という方式です。f:id:unknownhuman12340:20190310231347j:image夕朝食を合わせて¥2300と、まあ安いんだか高いんだかという感じですが、バイキング形式なので良いと思います。

さて、その次は風呂です。展望浴場ということで、太平洋を望むものでした。サウナにも窓が付いており、サウナにまで展望を求めている面白いデザインです。男性浴場は右舷側、女性浴場は左舷側にあります。往復で見る光景が違うといえます。

ところで、航路に関しては福島第一原発の影響もあってか、ずいぶん沖合を航行していたようで、陸地がほとんど見えませんが、翌昼の青森の尻屋崎灯台あたりからちょっとずつ見え始める感じでした。

話は前後しますが朝食です。朝食は完全にバイキング、とろろなんかもあって、結構食べました。(とろろが好物なだけですけれども)

フェリーといえば展望デッキでしょうか。少なくとも私はそうですが、さんふらわあさっぽろ・ふらのともに展望デッキは後方にあります。また、スイートルーム始め上級客室の場合ベランダが付いており、そこから外にでて、外を望むことができるようです。f:id:unknownhuman12340:20190310232944j:imagef:id:unknownhuman12340:20190310232959j:imagef:id:unknownhuman12340:20190310233009j:imagef:id:unknownhuman12340:20190310233049j:imagef:id:unknownhuman12340:20190310234922j:image順番は適当ですが、だいたい苫小牧入港前です。2枚目は苫小牧市街、製紙業や鉄鋼業、石油化学工業などが盛んなのでそれ関連の工場が多くあります。また、4枚目は活火山の樽前山です。海側からだと見えませんが、カルデラ湖の支笏湖もあります。樽前山登別温泉は多分関係ありません。こっちはやはりカルデラ湖の倶多楽湖をもつ火山に関係するものだと考えられます。5枚目は苫小牧にいた、太平洋フェリーのきたかみです。これは今年就航したばかりの新造船で、私は先代に仙台に行ったときにお世話になりました。一応太平洋フェリーについても申し上げますと、苫小牧〜仙台〜(隔日)名古屋をきたかみ・きそ・いしかりの3隻で運航しています。また、苫小牧港に関して申し上げると、シルバーフェリーが八戸まで運航しています。もう一つだけ苫小牧港について補足しますと、ここまで出した会社は西港から、新日本海フェリーは東港から運航しています。やや距離があります。

閑話休題、翌日13:30に苫小牧に入港し、これにてさんふらわあさっぽろの旅も終わりです。新しくなって初めて乗りましたが、先代と全く変わっていて驚きました。快適な「移動」に特化する形で進化したと言えるでしょう。

蛇足ながら先代さんふらわあさっぽろ・ふらのと現在の代との見分け方を申し上げますと、客室後方に縦長の窓があるかないかということです。f:id:unknownhuman12340:20190310234133j:imageあるほうがいずれも現在のものです。この縦長の窓は何かというと、f:id:unknownhuman12340:20190310231546j:image先ほども出したこの写真の左側にある大窓に当たります。吹き抜け構造になっているため大型の窓なのです。

 

今更旅行記総括

ネタがない…というわけではありませんが、せっかくなので、この旅行記の総括と自問自答をしたいと思います。

実は最近高校を卒業しまして、大学生になれるんだか浪人するんだか分かりませんけれども、いずれにせよ旅行はこれからも何度もしていくものだと思います。本人が言うのだから間違いない。それにしても私の旅行のそもそもの目的は結局、歴史の現地研究というものであり(というのはこのブログの記事からも十分わかることと思いますが)、これからもそういう目的であることは間違いありません。ところで旅行で考えたことも様々ありますが、特に一人暮らしなんかするにあたって考えるべきだと思ったことは、「居住と観光は全く異なる」ということです。観光というのは所詮1・2日、長くて2週間くらいの短いものでしょうけれども、居住することは1年、あるいは一生であるということで、住みやすさというのは極めて重要な要素です。そんな中で「観光」というのは、地域の表面的な部分しか知ることができないという点で、地域の深い部分、年中行事や日々の生活、鉄道の便(観光でもわかるかもしれないが、観光は大体うまくいくように最初からどうにか仕組んでいると思う。日常利用としてどうなのかを考えてみるべき)や近所付き合いといった「居住」とは違うのですところを考えるときはぜひ考慮するべきことと思います。

 

さて、ここからは私の旅行に対する考え方をまとめたものです。私自身への旅行への姿勢の再確認用という目的も含んでいるのでツッコミはしてもいいししなくてもいいです、ハイ。

⑴予算に関して:0泊3日は一回あたり3万程度、そ以外は概ね5万くらいを目安に組んでいます。宿なんかとらないので安くなるのは当たり前ですが、宿をとらないために例えば高速バス車中泊、フェリー船中泊などをする事で極限まで値段を削ります。前者はキッツい場合もありますのでなんとも言えませんけれども、後者は面白いので最近増えています。多分これからフェリーがメインになることでしょう。手段はあくまで手段であるということで、目的は現地の活動であるから、それを十分でき、なおかつ安い手段を考えなければなりません。(フェリーは手段も目的も兼ねてますけれども)

⑵海外の予定:あります。最初は近場で台北など考えていますが、後々ワーキングホリデーとか留学の類を使って、はたまたふつうに行ってヨーロッパ、あるいは青年海外協力隊(半ば観光目的、ただそれにしても考古学とか観光分野があるのでね)の類でアフリカの国とかに行きたいと思ってますが実現するかりませんので予防線を張っておきます。ただ、最大限削りますので、北京かモスクワ経由が多いと思います。中国国際航空とかアエロフロートが安いのです。また、ヨーロッパに関しては地中海はフェリーの船旅なんかもいいよねと思ってます。ただ、理想だけしか言っていないのでなんとも言えないという予防線は何重にも貼っておきます。

⑶日本縦断:しますよ。ルートなんかいくらでも考えられますが、各県回遊というのではなく飛ばし飛ばしになるかもしれませんが、それでも10万と1週間あればいけます。(前試算した)ただ、するにしても私の趣味で京都か奈良をどこかに入れるかもしれませんし、あるいは全県制覇を目指して何か入れるかもしれません。

⑷要するに:金ください。

以上です。「金は天下の回り物」とはよく言ったものです。最近某鉄道すごろくゲームやっているとよく思うわけですが、資産運用でもしようか、あるいはこのブログをアフェリエイトかなんかやろうかと思いましたがよく分かりません。

 

 

 

 

今更旅行記-⑧近畿地方〜⑵お伊勢参り・名古屋

さて、前回の大和八木駅からは、五十鈴川行きがあるので、終点まで乗り通しますと、その近くには伊勢神宮があります。伊勢神宮には外宮と内宮があり、それぞれ違う種類の神社です。普通は外から内に参詣するらしいですが、そんなことは知らなかったので内宮から参りました。

さて、まずは内宮です。

内宮は言わずと知れた皇室の祖先神である天照大神を祀っています。f:id:unknownhuman12340:20190301153148j:image境内には清流である五十鈴川が流れており、お清めの場所として古来から用いられていたようです。ちなみに小魚もそこそこ泳いでいます。f:id:unknownhuman12340:20190301153302j:imageさて、この写真を見て分かるかと思いますが、橋脚があります。これは先代の宇治橋で、直近の平成25年(=2013年)の式年遷宮において架け替えられ、この写真は新しい方の宇治橋から撮影したものです。(宇治橋とは伊勢神宮の内宮の大鳥居をくぐった後すぐにある橋)ちなみに外宮でも同時に行われます。なぜ式年遷宮が行われているかについて申し上げると、神様が綺麗好きだからという説や、弥生時代の建築様式を残そうとしているからという説、はたまた恒久的な都(藤原京以降)ができたから、その代わりに式年遷宮を行おうとしたという説などさまざまありますが、その目的ははっきりわかっていません。

ところで、このように極めて長い歴史を持つ伊勢神宮ではありますが、世界遺産にはなっていません。その理由がまさに式年遷宮で、建物を全て新しく作り変えるからです。遺物というべきものはほとんど存在しなくなるため、一応長く続く「文化儀礼」にはなり得るでしょうけれどもそれと遺産とは必ずしも結びつくものではないということがよくわかるものと思います。世界遺産に関して申し上げてしまうと長くなりますが、私がどうしても理解できないのは「近代日本産業の遺産群」とかいうんで富岡製糸場の類が登録されていることです。いや、ただ私が近代史が大嫌いなだけと言えるかもしれませんが、よく考えていただきたいのは、近代産業の遺物なんかそれこそイギリスにも多くあるわけだから、とりわけ日本のものが登録されるというのも果たしてどうかと思うものですが、実際のところイギリスもそういったものは世界遺産であり、さらには日本の近代の急速な工業化というのも実に並外れたものであることは否めないため、それを残そうという意図はわからなくもありませんが。

さて、伊勢神宮の話に戻ります。f:id:unknownhuman12340:20190301154230j:imagef:id:unknownhuman12340:20190301154234j:image伊勢神宮はやはり祭祀施設であるからして、このようにさまざまな蔵などが点在していますが、これらに共通して見られたことが高床倉庫であったということです。創建当初の弥生時代からの建築技法を貫いているのでしょう。実に興味深いものです。それこそ先ほど述べた式年遷宮の意義の一つに合うものでしょうか。

さて、内宮の方にある「おかげ横丁」なるものといえばf:id:unknownhuman12340:20190301160147j:image赤福ですね

赤福というのは見ればわかる通り、お餅にえあんこがのったものです。「崩れやすいので水平にお持ちください」とあるわけで、いかばかり崩れやすいかと思ったらなるほど、これは崩れやすいわけです。あんこが取れたらほぼ台無しですから実際に崩さずに持たなければなりません。お茶と合いそうだと思いました。

さて、なぜ私が伊勢に行ったのかということについて述べても良いのですが、身バレなどすると迷惑になってよろしくないので割愛させていただきます。ただ、実に充実したひと時を過ごさせて頂きました、ということを申し上げるばかりです。ここに感謝申し上げます。

さて、この後は外宮に参りました。こちらは伊勢市駅から直結(というほどでもないかもしれないが、参道が目の前からある)しています。

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踊り場がありました。前もどこかで書いた気がしますが、こういうところで舞をすれば実に神秘的なものでありましょう。

さて、次は外宮です。f:id:unknownhuman12340:20190301162018j:image外宮は衣食住や産業の神である豊受大神を祀っているところです。ところでこちらの方が、例えると京都と奈良で言うところの奈良みたいな、やや質素な印象を受けるわけが、どうもこれは多くの人が感じているようです。少なくとも江戸時代まではこのようなことはなかった、つまり五穀豊穣の神などでもある豊受大神が鎮座しているから、江戸時代においては特に特別扱いされたというわけではないと考えられます。従って、この理由についてはおそらく明治時代以降の天皇観が影響しているものと思われます。すなわち、天皇や皇族の祖先神たる天照大神を大きく祭り上げることが重要視されたことによるもので、従って外宮の豊受大神はやや見向きされなくなりつつあった、ということです。決してどの神が格下だというわけではありませんが、当時の思考ではそのようなものであったことだということが窺い知れます。

さて、ここで申し訳程度の鉄道成分

伊勢市駅名古屋駅に向かうわけですが、並走する近鉄とJRのいずれが安いかというと近鉄の方が安いです。ちなみに津駅では近鉄側に向けてJRの広告が出ているほど露骨な競争になっていることがわかります。

さて、この後は名古屋に参りました。f:id:unknownhuman12340:20190301174719j:image名古屋といえば名古屋城ですが、行ったら遅すぎてしまってましたので諦めて熱田神宮に行きました。f:id:unknownhuman12340:20190301174747j:imagef:id:unknownhuman12340:20190301174751j:image熱田神宮というのも伊勢神宮などと並ぶ規模の大きい神社で、宮中の四方拝で拝される神社の一つです。御神体三種の神器の一つである草薙剣です。やはり暗くてあまり良く見えませんが、周りの都会の喧騒とはうって変わった静かで荘厳な雰囲気がまた良いものです。

 

さて、以上が今更旅行記⑨です。奈良に関してはもっとじっくり探求してみたいし、名古屋に限らず愛知県など中部地方に関してはもっと時間をとってゆっくり見てみたいようなところも多くあります。そのため、今度中部地方に行く際には名古屋に限らずその他周辺の名所なども巡って見たいものです。