さて、2(3?)日目は松山から参ります。早朝松山市につきまして、始発がないのでまだ暗いうちからJR四国は三津浜駅まで歩きました。割と遠かったです。
道後温泉といえば夏目漱石の『坊ちゃん』です。だからなんだという話ですが、中の大風呂には看板があり、話中に出ていたものと同じであって面白かったです。建物は古めかしく趣がありましたが、この建物は現在改築中です。
坊っちゃん列車なるものもありました。昔は実際蒸気機関で動いていたらしいのですが、現在はディーゼルのようです。
愛媛といえば
さて、この次に参りましたのは松山城です。備中(岡山県)にも「松山城」なる城があるので、こちらは伊予松山城とも呼ばれます。どちらも天守閣を持つ城郭です。天守閣といえば世界遺産の姫路城が有名ですが、そもそもの役割は物見櫓的なもの、それにしてもこのような大建築は無駄であるから、結局は大名の権力誇示のために作られたものです。似たようなものに「櫓」と言われるものがあります
城下ではじゃこ天なるものが売られていました。ほんのり塩味がして美味しゅうございました。
この後は再び松山港に戻り、次は呉に向かいます。
途中、音戸大橋なる橋をくぐりました。音戸は平清盛が開削したというあの音戸の瀬戸にかかる橋で、両脇の山がちな地形を見てもやはり開削が妥当な場所だとわかります。
音戸の瀬戸といえば平氏政権の時代に遷都された福原京や、その外港である神戸(大輪田泊)への運送の効率化などを図って開削されましたが、それほど昔から瀬戸内海は水運の要衝であったと言えるでしょう。
さて、呉に到着しました。呉は帝国時代に鎮守府が置かれるなど、海軍の拠点として、現在でも海上自衛隊の拠点として続く港町です。
ちなみにこの近くには造船工場があり、自衛艦(?)を造船していました。
呉はやはり昔から帝国海軍との結びつきがあったため、また、造船所もあったために大和ミュージアムがあります。大和に限った話ではなく、旧帝国海軍のあらゆるものや実物を展示している、興味深いミュージアムでした。この写真のミニチュア大和は実に精巧な作りをしていました。細かいところは無論、よく見ると水兵が甲板に立っているなど、極めて細かいところまで作りこまれています。
さて、この次にランチということで広島焼きでございます。下に焼きそばがあるのが特徴的で、関東などでよく見るお好み焼きとは若干異なりました。京都の一銭洋食などとも異なり、なるほど地域性があって面白いものです。チーズ広島焼きもあり、実に美味しそうでした。
さて、この後は呉駅から呉線に乗って広島駅に向かいます。この旅行後、西日本豪雨によって呉線などは土砂崩れで被災してしまい、現在も徐行運転など影響が残っています。被災者の皆様の一日も早い復興をお祈りいたします。
さて、広島に着いたのは夕方、そこから厳島神社に参りました。遅かったので参拝はできませんでしたが、夜のライトアップが美しかったです。
厳島神社は装飾経である平家納経が納められていることでも有名ですが、なによりもその建築が特徴的です。海上における寝殿造で、突き出た部分には舞台があります。ここでこのような夜に舞をすることなどがあれば、神秘的なことこの上ないと思います。それほど美しく神秘的な場所でした。今度は昼間に来て参拝して見たいと思います。
鹿も多かったです
さて、この後は広島駅の方に戻りつつ原爆ドームを見ました。太平洋戦争末期、1945年8月6日に原子爆弾が落とされた場所というのは言うまでもないことです。3日後の長崎への投下も合わせて、このような惨禍は二度と起きてはなりません。我々はこの戦争を反省するとともに、この時代を生き抜いて、戦後の日本を作り上げてきたたくましい方々への感謝も忘れてはいけないと思います。
さて、夕食でございます。広島といえば牡蠣ということで、焼き牡蠣をたべました。生牡蠣は幾度か食べたことはありますが、焼き牡蠣は初めてでした。しかし、いずれにせよ海水の味は極めて濃く、なるほどポン酢の類は特にいらないものだと思いました。
ちなみに写真に写っているジョッキの中身はジンジャーエールですので誤解なさらぬように。
この後は広島駅周辺をふらふら歩きまわり、クリスマスということで通りがかりのサンタクロース(?)の人に飴をもらうなどしました。
その後23時頃にバスで京都に向かいます。