とあるツイ廃のブログ

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今更旅行記-④いい日旅立ち〜西へ〜-⑶京都・奈良

さて、最終日でございます。やや写真が多めなので文章が少なめです。

さて、広島から京都につきまして、まず参りましたのはf:id:unknownhuman12340:20190221170509j:image

有名な八坂神社前の交差点にあったローソンです。今は無くなってしまいましたが、「周りの景観に合わせて工夫した例」などで中学社会の教科書に載っていたような気がします。

まずは右京区太秦広隆寺でございます。f:id:unknownhuman12340:20190221204159j:image

目的はもちろん半跏思惟をしている弥勒菩薩さんです。よく言われるように尊いの極みでありました。広隆寺は京都に数ある寺院の中でもずば抜けた歴史があり、飛鳥時代からある寺院です。同時代の寺には四天王寺法隆寺などがありますが、ほかの寺院は奈良県にあるのに対して広隆寺は京都にあります。

つぎは六波羅蜜寺です。f:id:unknownhuman12340:20190221211117j:imagef:id:unknownhuman12340:20190221211138j:image

六波羅」はその昔平清盛の居館があった場所で、境内に「此付近…」の石柱(写真)がありました。鎌倉幕府中後期、承久の乱の後においては京都の監察として六波羅探題がおかれましたが、ただ、この清盛の居館跡と京都御所はあまり関係ないような気がしますが、実はそういうわけでもなく、京都御所にそこそこ場所が近く空いていた大規模な建物ということで、清盛の居館を改築してできたため、このような名前になっているのです。建物自体はこじんまりとしており、色なども最近塗られたようで綺麗です。六波羅蜜寺といえば「市の聖」こと空也上人像や平清盛像が有名で、隣同士で並んでいます。空也上人像の口から出ている枝みたいなもの、あれは「話す言葉の一つ一つが仏となって出てきた」という伝説に基づいた小仏像です。実物をよくみるとはっきりわかりました。その発想は実に個性的なものであります。その隣にあった平清盛像は、出家したのちの入道の姿の像です。目の感じが実にリアルで視線を感じるほどでした。場所が少々入り組んでいてわかりづらいところではありますが、周りは建仁寺などもあり、そこも回ってみるといいと思います。

次は北野社です。

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大宰府社も行った後にここに行ったからさぞやご利益はあることかと思っております。度々行っているのでここで行った時に何をしていたのか実はあまり覚えていませんが、このときは猫がいて戯れていた記憶があります。「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主人なしとて春な忘れそ」という歌は有名ですね。いつも気になりますが、「春な忘れそ」「春を忘るな」という二通りの書き方が見受けられまして、前者は「春を忘れるな」、後者は「春を忘れてはいけないよ」というような訳(つまり禁止か念押しか)になるわけです。文献的には「春を忘るな」の方が古くから載っているらしいですが、個人的には「春な忘れそ」の方が語感的に柔らかく、語りかけるようなイメージを感じるので、こちらの方が好きです。しかし行ったのが12月末の真冬だったので、梅など咲いているわけないのですがね。

ランチ

f:id:unknownhuman12340:20190221215613j:image一銭洋食でございます。広島焼きとはやはり違います。皮が薄く中身が厚いという点で、お好み焼きとはまた違った感じです。

この後は奈良に移動しまして、前々から法隆寺に行こうということで行ってまいりました。

f:id:unknownhuman12340:20190221211123j:image行ったところちょうど鐘が鳴り、「柿食へば鐘がなるなり法隆寺」という有名な正岡子規の俳句を思い出しましたが、残念ながら柿を食べていなかったのでどうしようもありません。

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日本、そして世界最古の木造建築でございます。とは言いますが、この近辺に若草伽藍跡がありまして、そこが創建当初の位置だとされています。それにしてもやはり最古の木材建築で、やはり歴史と荘厳さを感じます。広隆寺と同じく飛鳥時代の寺院で、厩戸王(聖徳太子)が深く関わっている寺院です。法隆寺飛鳥時代からの大寺院として、創建時から奈良時代など、様々な時代の文化が一堂に会しているところといっても過言ではないでしょう。

法隆寺の建築および釈迦三尊像百済観音像は飛鳥文化のもので、個人的な印象ですが仏像に関してはほっそりしている感じがします。ちなみに、同時期の玉虫厨子奈良国立博物館にあります。教科書などでみると小さそうに感じますが、隅に「210cm」とあるように実は結構大きいものです。一方で金堂壁画は少し後の白鳳文化のものです。これに関してよく言われるのは、西方文化の影響が見て取れるということです。金堂壁画や中国の莫高窟の壁画、インドのアジャンターの壁画はそれぞれ共通点が見て取れますが、これは日本が終着点になっていたシルクロードの影響であると考えることができます。

隣には夢殿があります。こちらは時代がもっと下って、奈良時代天平文化のものです。八角形の建物が特徴的でした。ちなみにさらにこの隣には、尼寺であったとされる中宮寺があります。中宮寺にも有名な菩薩半跏像がありますが、当時はすっかり失念しておりまして行っておりません。今度は斑鳩のあたりをゆっくり回ってみたいと思います。f:id:unknownhuman12340:20190221224503j:image

ちなみに東京国立博物館には「法隆寺館」なるものがあります。こちらは、明治時代に法隆寺から明治天皇に献上された小仏像などが展示されており、そのほとんどが金色をしているところにライトアップがなされているため、配置なども実に面白いことはさることながら、やはりほとんどの仏像が新羅百済などといった海外製であることが特徴的だと思います。日本の仏像とは全く雰囲気が異なるものです。

 

この後は大阪に行って帰還することになりますが、時間がかなり有り余っておりましたので道頓堀と心斎橋のあたりに行きました。f:id:unknownhuman12340:20190221224717j:imagef:id:unknownhuman12340:20190221224720j:imageびっくりしましたね、日本語が聞こえないの。さぞかし外国人に人気の場所だなと思いました。たこ焼きはタコが丸々1匹入っていたのが面白かったので写真に残しました。

 

さて、これにて旅行の全行程が終わりました。この旅行は実にためになるものだったと1年近く経った今でもよく思います。今度行くときはゆっくり見て回りたいところなどをさまざま発見できたという意義をもってこの旅行を締めました。