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今更旅行記-⑥北海道・東北-⑴青森編

さて、北海道・東北でございます。この辺りから高速バスよりフェリーを中心に考えるようになりました。

さて、まず行程を申し上げます。

①東京(上野)発〜②青森駅着〜三内丸山遺跡〜青森港〜函館〜③④札幌周辺(1泊)〜⑤仙台〜松島〜山寺〜山形〜⑥東京着

となっています。

⑴は②の青森・函館編です。

さて、上野〜青森駅といったら高速バス・パンダ号であることは言うまでもありません。日本屈指の長距離バス路線です。

上野発の夜行列車…ではなく夜行バスを降りたときから、青森駅は別に雪に覆われてはおりません。北へ帰る人の群れもなかったので、やや寒い青森駅から新青森駅まで行き、さっそく三内丸山遺跡に向かいます。f:id:unknownhuman12340:20190223202533j:image

三内丸山遺跡縄文時代の前期〜中期頃(約6000〜4500年くらい)の大規模集落です。f:id:unknownhuman12340:20190223202519j:image

掘立柱建物が点在しています。地面をやや掘り下げ、そこに柱を立てるという形式で、f:id:unknownhuman12340:20190223210930j:imagef:id:unknownhuman12340:20190223205420j:image暗いですがこのような感じです。中央には穴があり、ここに縄文土器を直接差すことで使用しました。つまり、加熱などの用途ではなく、単に保存容器として利用されていたのです。これに対して弥生土器は底が平らであり、これは竃などを使用して加熱調理などを行った、実際中には焦げた食物の痕跡が見つかるなどしています。

さて、三内丸山遺跡といえばf:id:unknownhuman12340:20190223205716j:imageこいつです。物見櫓なんだかそうではないんだかよくわからん建物、実際用途は櫓だという説はありますが、無論祭祀用という説もあります。そもそもこの建物自体、柱だけしか見つかっていないことから中・上層部の構造などわかるわけありませんので議論が絶えず、仕方なく「じゃあこうしておくか」的ノリでこのようになったというのはどうやら実話らしいです。f:id:unknownhuman12340:20190223210213j:imageところどころ柱のために掘り下げられた穴があり、そこに木の埋没部分が残っています。これらは栗の木で、狩猟・採集を主としていた縄文時代から多く採集・食されたものです。また、このように大木の栗の木は木材にも供されていたというわけです。先ほどの櫓的な建物も栗の一本木が使われていますが、日本にはそんなでかいのはすでに生息していないわけですから、シベリアかどこかから運んできたものだと言います。f:id:unknownhuman12340:20190223210612j:imageその他高床倉庫はすでに縄文時代から貯蔵庫として利用されています。写真に見えるように、角の出張った部分はねずみ返しなどというもので、ネズミが登ってくることができないように設けられているそうです。

近くの資料館も見てまいりました。縄文土器が様々展示されており、f:id:unknownhuman12340:20190223210806j:image特に「失敗した土器」などというのも展示されておりました。よくこんなものが残っているものだなぁと思うものです。

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三内丸山遺跡に関してはこのほかに面白いことに、東北新幹線新青森駅進入の直前に見ることができるということです。そのため、ここだけそれまで続いている支柱だかは除去されています。また、地図などを見るとよくわかりますが、同区間は遺跡を避けるかのように若干膨らんでから駅に進入する経路を取っています。

この後は青森港まで行き、フェリーで函館まで参ります。ここで青函間のフェリーについて申し上げますと、津軽海峡フェリー青函フェリーの二者が競合している状態ですが、前者は観光向け、後者は貨物輸送向けと一般的に言われており、値段も後者の方が若干やすいです。いずれも一長一短といったところですので、目的や値段に応じて選ぶと良いでしょうし、いずれも外れはないと思います。

 

さて、次は函館〜北海道編です。

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