とあるツイ廃のブログ

ツイ廃が140文字で抑えきれないなにかをただかきつくるもの

今更旅行記-⑥北海道・東北-⑶奥の細道

前も岩手県の方での奥の細道を題したものをやった気がしますが、今度は少し南の方の話です。

さて、苫小牧から仙台につきまして、まずは仙石線で松島(松島海岸)に参ります。途中の西塩釜駅は、ホームの端が岩を削ってあるという面白い作りでした。仙石線はその名の通り仙台と石巻を結ぶ路線で、東北の路線にしては珍しく直流電化です。これはもともと国鉄の系統とは別路線であったということを示しています。ちなみに終着のあおば通駅石巻駅の発車メロディは、それぞれ様々ある発車メロディの中でも屈指の名曲だと言われておりまして、私もそう思いますのでぜひ聞いてみてください。

さて本題、松島でございます。

 

f:id:unknownhuman12340:20190225181929j:imagef:id:unknownhuman12340:20190225181934j:imagef:id:unknownhuman12340:20190225181956j:image松島は「松島や ああ(さあ)松島や 松島や」と松尾芭蕉が詠んだという話がありますが、これは真っ赤な嘘で、実際は狂言師の田原坊という人物が作ったものです。そもそも芭蕉は松島で俳句を作っていません。その理由に松島の光景に感動したとかいうよくわからない理由がさまざまについて、それと先の歌が結びついたということでしょうか。ちなみに同行した曽良は「松島や 鶴に身をかれ ほととぎす」という歌を詠んでいます。それにしても、奥の細道の行程で松島を訪れたということは紛れもないことです。あと松島といえば牡蠣ですかね。f:id:unknownhuman12340:20190225182014j:image

その後瑞巌寺に向かいました。f:id:unknownhuman12340:20190225182158j:imagef:id:unknownhuman12340:20190225182202j:image

瑞巌寺は円仁の開基と言われていますが、実際のところよくわかっていません。仙台伊達家と関わりが深いところで、肖像画などがありました。

仙台に戻りまして、次は立石寺に参ります。仙山線は面白いですね、面白山高原もさることながら、仙台の都会から山中の田舎の景色を一路線で見ることができます。そんな仙山線を山寺で降りますと目の前に立石寺(山寺)があります。f:id:unknownhuman12340:20190225220202j:imagef:id:unknownhuman12340:20190225220219j:image

例によってここも円仁の開基だとか言いますが、よくわかりません。

江戸時代になりますと、ここには松尾芭蕉一行が訪れます。f:id:unknownhuman12340:20190225220543j:image

言わずもがな奥の細道のわけですが、ここで「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」という極めて有名な俳句を詠んでいます。f:id:unknownhuman12340:20190225221152j:imageまあ行ったのは春先だったわけでセミも何もなく、ただ川と猫のいるのみということですが。

「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」という歌はなかなか現実ではありえないような歌だと私は勝手に思っていまして、というのも、蝉は普通やかましくうるさいものであるからです。しかし、それはあくまでウン十匹も鳴いているような話、ここで読まれているのはきっと、周りの田舎で静かな中、一匹ポツンと「ミーン…」とか「ジー…」と鳴いている、そういう鳴き声の、写真のように切り立った崖への反響とそれの余韻を印象的に的確に捉えて表現しているものだと思います。実際聞いてみないとわからないものですがね。

さて、この後は山形駅に行き、例によってバスで東京に帰還しました。ここでも3列シートということで実に快適に帰ってくることができましたが、何より値段が安かったから、ということがあります。

 

この旅行では、特にアイヌ文化に関して様々な知見が得られたということが特に印象に残っています。未だ研究途上の分野なので、ぜひ研究などもしてみたいものです。それ以外にも、三内丸山遺跡などといった日本の始まりの始まりについてや、かねてから続いている奥の細道を追うものなども実に面白かったです。