とあるツイ廃のブログ

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今更旅行記-⑧近畿地方〜⑵お伊勢参り・名古屋

さて、前回の大和八木駅からは、五十鈴川行きがあるので、終点まで乗り通しますと、その近くには伊勢神宮があります。伊勢神宮には外宮と内宮があり、それぞれ違う種類の神社です。普通は外から内に参詣するらしいですが、そんなことは知らなかったので内宮から参りました。

さて、まずは内宮です。

内宮は言わずと知れた皇室の祖先神である天照大神を祀っています。f:id:unknownhuman12340:20190301153148j:image境内には清流である五十鈴川が流れており、お清めの場所として古来から用いられていたようです。ちなみに小魚もそこそこ泳いでいます。f:id:unknownhuman12340:20190301153302j:imageさて、この写真を見て分かるかと思いますが、橋脚があります。これは先代の宇治橋で、直近の平成25年(=2013年)の式年遷宮において架け替えられ、この写真は新しい方の宇治橋から撮影したものです。(宇治橋とは伊勢神宮の内宮の大鳥居をくぐった後すぐにある橋)ちなみに外宮でも同時に行われます。なぜ式年遷宮が行われているかについて申し上げると、神様が綺麗好きだからという説や、弥生時代の建築様式を残そうとしているからという説、はたまた恒久的な都(藤原京以降)ができたから、その代わりに式年遷宮を行おうとしたという説などさまざまありますが、その目的ははっきりわかっていません。

ところで、このように極めて長い歴史を持つ伊勢神宮ではありますが、世界遺産にはなっていません。その理由がまさに式年遷宮で、建物を全て新しく作り変えるからです。遺物というべきものはほとんど存在しなくなるため、一応長く続く「文化儀礼」にはなり得るでしょうけれどもそれと遺産とは必ずしも結びつくものではないということがよくわかるものと思います。世界遺産に関して申し上げてしまうと長くなりますが、私がどうしても理解できないのは「近代日本産業の遺産群」とかいうんで富岡製糸場の類が登録されていることです。いや、ただ私が近代史が大嫌いなだけと言えるかもしれませんが、よく考えていただきたいのは、近代産業の遺物なんかそれこそイギリスにも多くあるわけだから、とりわけ日本のものが登録されるというのも果たしてどうかと思うものですが、実際のところイギリスもそういったものは世界遺産であり、さらには日本の近代の急速な工業化というのも実に並外れたものであることは否めないため、それを残そうという意図はわからなくもありませんが。

さて、伊勢神宮の話に戻ります。f:id:unknownhuman12340:20190301154230j:imagef:id:unknownhuman12340:20190301154234j:image伊勢神宮はやはり祭祀施設であるからして、このようにさまざまな蔵などが点在していますが、これらに共通して見られたことが高床倉庫であったということです。創建当初の弥生時代からの建築技法を貫いているのでしょう。実に興味深いものです。それこそ先ほど述べた式年遷宮の意義の一つに合うものでしょうか。

さて、内宮の方にある「おかげ横丁」なるものといえばf:id:unknownhuman12340:20190301160147j:image赤福ですね

赤福というのは見ればわかる通り、お餅にえあんこがのったものです。「崩れやすいので水平にお持ちください」とあるわけで、いかばかり崩れやすいかと思ったらなるほど、これは崩れやすいわけです。あんこが取れたらほぼ台無しですから実際に崩さずに持たなければなりません。お茶と合いそうだと思いました。

さて、なぜ私が伊勢に行ったのかということについて述べても良いのですが、身バレなどすると迷惑になってよろしくないので割愛させていただきます。ただ、実に充実したひと時を過ごさせて頂きました、ということを申し上げるばかりです。ここに感謝申し上げます。

さて、この後は外宮に参りました。こちらは伊勢市駅から直結(というほどでもないかもしれないが、参道が目の前からある)しています。

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踊り場がありました。前もどこかで書いた気がしますが、こういうところで舞をすれば実に神秘的なものでありましょう。

さて、次は外宮です。f:id:unknownhuman12340:20190301162018j:image外宮は衣食住や産業の神である豊受大神を祀っているところです。ところでこちらの方が、例えると京都と奈良で言うところの奈良みたいな、やや質素な印象を受けるわけが、どうもこれは多くの人が感じているようです。少なくとも江戸時代まではこのようなことはなかった、つまり五穀豊穣の神などでもある豊受大神が鎮座しているから、江戸時代においては特に特別扱いされたというわけではないと考えられます。従って、この理由についてはおそらく明治時代以降の天皇観が影響しているものと思われます。すなわち、天皇や皇族の祖先神たる天照大神を大きく祭り上げることが重要視されたことによるもので、従って外宮の豊受大神はやや見向きされなくなりつつあった、ということです。決してどの神が格下だというわけではありませんが、当時の思考ではそのようなものであったことだということが窺い知れます。

さて、ここで申し訳程度の鉄道成分

伊勢市駅名古屋駅に向かうわけですが、並走する近鉄とJRのいずれが安いかというと近鉄の方が安いです。ちなみに津駅では近鉄側に向けてJRの広告が出ているほど露骨な競争になっていることがわかります。

さて、この後は名古屋に参りました。f:id:unknownhuman12340:20190301174719j:image名古屋といえば名古屋城ですが、行ったら遅すぎてしまってましたので諦めて熱田神宮に行きました。f:id:unknownhuman12340:20190301174747j:imagef:id:unknownhuman12340:20190301174751j:image熱田神宮というのも伊勢神宮などと並ぶ規模の大きい神社で、宮中の四方拝で拝される神社の一つです。御神体三種の神器の一つである草薙剣です。やはり暗くてあまり良く見えませんが、周りの都会の喧騒とはうって変わった静かで荘厳な雰囲気がまた良いものです。

 

さて、以上が今更旅行記⑨です。奈良に関してはもっとじっくり探求してみたいし、名古屋に限らず愛知県など中部地方に関してはもっと時間をとってゆっくり見てみたいようなところも多くあります。そのため、今度中部地方に行く際には名古屋に限らずその他周辺の名所なども巡って見たいものです。