とあるツイ廃のブログ

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夏の関西旅行〜③斑鳩と京都のお寺〜

さて、3日目でございます。午前中は奈良県西部の斑鳩に、午後は京都市南部の東寺と東福寺に参りました。

さて、まず斑鳩でございます。斑鳩地方というのは聖徳太子こと厩戸王がさまざまな寺院を建立したことで有名です。今回私は法起寺中宮寺法隆寺に参りました。いずれも聖徳宗(聖徳太子を教祖とし、経典を聖徳太子の著した『三経義疏』とする仏教の一宗派)の寺院です。

さてまず法起寺です。「ほうきじ」とも「ほっきじ」とも読みますが、最近「ほうりゅうじ」に合わせて前者の「ほうきじ」という読み方に定められましたが、後者の読みもまだよく使われます。法起寺と言いますと日本最古の三重塔が有名です。今でこそ小規模な寺院といえるところですが、古代はもっと大きく、三重塔のみならず金堂がついており、法隆寺とは金堂と塔の位置だけが入れ替わった伽藍配置をしていたようです。

 

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その次は中宮寺です。今でこそ法隆寺の隣にひっそりとある寺院ではありますが、古代は現在のもっと西の方に、もっと大きな規模の寺院として存在していました。(中宮寺跡。写真のように今は野原になっている)

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現在は下のように、小池の上にコンクリート造りの現代的な建物です。

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位置付けとしては法隆寺の尼寺ということですが、そういったことよりももっと有名なのは、なんといっても如意輪観音像(半跏思惟像)でしょう。京都の広隆寺のものと並び美仏と称されます。写真で見るとなんとなく金属感がありますが、現物を見ると黒い木でできているのがよくわかります。柔らかな印象は尊さを感じさせるものです。もう一つ有名なのは、聖徳太子の死を悼んでその妃の橘大郎女が作成したと言われる、天寿国繍帳です。極楽浄土のイメージを表した曼荼羅を絵画ではなく織物として表現したもので、現在はその断片のみ残るものの7世紀の織布、また、芸術として貴重なものと言えましょう。その絵柄というのは隋唐の影響を多分に受けたであろう割と濃いめの顔つきで、金糸を多く用いた華美も見えます。

さて、そのすぐ近隣には、法隆寺の夢殿があります。前も一回申し上げましたので軽くさらいますが、夢殿は八角形をした堂で、ここに救世観音が秘仏として祀られています。法隆寺の西院(五重塔などがある方)はだいたい7世紀の初頭の建立に対し、夢殿・東院に関してはやや降って8世紀の建立です。

そこからさらに西に行きますと、こちらは西院があります。五重塔や金堂は世界最古の木造建築であるというのはいうまでもなく有名です。

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さて、あまり長々と書かないようにしつつ、次は京都関係でございます。まずは東福寺です。三門は国宝になっています。荘厳な入口です。

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東福寺鎌倉時代に建立された寺院で、足利政権の時、「五山十刹」という、官寺として定められた臨済宗寺院のうち、京都五山の第4位に位置付けられた大寺院です。(ちなみに京都五山の1位は天龍寺鎌倉五山のほうの1位は建仁寺、4位は浄智寺、いずれも別格本山として京都の南禅寺がある)これにより、幕府が寺院をも司ることになりました。(そもそも足利尊氏らが臨済宗を信仰していたため、夢想疎石がそれに関わった。)東福寺は、もともと藤原忠平が建立した寺院で、藤原氏の氏寺であった法性寺があった場所に建てられましたが、現在こちらは衰退し、付近でひっそりと存続しています。また、かつての本尊は高さ5丈(約15m)の釈迦如来像だったといわれていますが、現在では長さ2m仏像の手の一部を残して焼失してしまったようです。と言いつつも、寺院とはいうものの、仏像とかそういう関係よりは景色が良いです。つまり、方丈庭という枯山水庭園や、緑広がる渓谷を見下ろす通天橋なんかはJR東海の大人の休日倶楽部のCMでよく見ることでしょう。

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この後、同じく京都駅・八条通りの南側の東寺(教王護国寺)に参りました。

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東寺の五重塔です。新幹線で京都~新大阪で、京都駅をでた直後に見える塔はこれです。ところで、東寺というからには対に西寺もありました。同じく九条通り、朱雀大路を挟んで反対側でしたが、西寺は廃れて塔の跡だけが残っています。ちなみに東福寺に関しては「西福寺」なるものはこの寺院の対にはありません。これは、奈良の「東」大寺、興「福」寺をとっているためといわれています。

さて、この東寺と言いますと、空海嵯峨天皇からここを賜り「教王護国寺」として大寺院にしたことが有名で、要するに密教系の寺で、真言宗総本山です。そういうわけで、立体曼荼羅が有名です。

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立体曼荼羅とは、先述の曼荼羅を絵画ではなく像という形、二次元の平面から三次元の立体に現したもので、中央に大日如来を鎮座させ、周囲に十二神、四天王、不動明王など配置したものです。各像が厳つく作られているので、したがって曼荼羅全体の雰囲気というのは圧巻の極みです。こちらは講堂に安置されています。最近東京国立博物館で東寺展がありましたが、その時以来(約2か月)の再会でした。

一方、東寺の本尊はこちらではなく薬師如来です。薬師如来のほうは、十二神は台座を囲むように並んでおり、脇侍に日光・月光菩薩がいました。こちらは金堂に安置されています。

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このように東寺もなかなか大きい寺ということがわかります。

 

さて、以上で今夏の関西旅行が終わりまして感想を申し上げますと、やはり古都はよいという一言に尽きます。それにしても盆期間中の混雑といい高速バスの値段といい、割ときついところもあったというのは一言申し添えておきます。