とあるツイ廃のブログ

ツイ廃が140文字で抑えきれないなにかをただかきつくるもの

東京本屋巡り❷

なぜ分けたのかというと別に理由はありませんが、こちらはこちらで長くなる気がしたからです。写真は例によって載せないので、自分でググってください。

Ⅲ.東京東部編

1.八重洲ブックセンター

東京駅八重洲口にあるでっかい本屋。池袋のジュンク堂行って無かったらこっちにはあるということがある。近くに高速バスの鍛治橋駐車場があるので、その待ち時間潰しに使う。ブックカバーが華やか。

独自のポイントカードがある。

2.丸善丸の内オアゾ

東京駅丸の内口の北側のオアゾにある丸善。品揃えこそ八重洲ブックセンターに及ぶかは微妙だが、4階の洋書売り場が極めて充実しているので、洋書を買おうと思ったときはここに来る。

hontoカード、dカードpontaカードが使える。

3.丸善日本橋

八重洲口側には少し離れるが、日本橋にも丸善がある。丸善では最古の店だが、丸の内オアゾの方が充実している感じはする。それでもそこそこ大きいことには変わりないが。

hontoカード、dカードpontaカードが使える。

4.紀伊國屋大手町

大手町ビルにある紀伊國屋。あまり大きくはないが、充実はしていると思う。近くの将門塚に参拝に行ったついでに行ったので実はよく覚えていない。

紀伊國屋カードが使える。

5.三省堂有楽町

有楽町の東口にある三省堂。2フロアでできていて、そこそこ大きい。見た感じは人文学関係の書籍が充実している感じはした。ちなみに同じビルにどさんこプラザがある。

三省堂カードが使える。

6.教文館

銀座にある。未調査。

7.改造社銀座

銀座にある。未調査

8.丸善御茶ノ水

御茶ノ水駅の道路を挟んだ南側にある。結構大きく、1階は文庫本や文芸書などが充実し、2階は学習参考書などがずらりと並ぶ。店の前の広場ではよくワゴンセールをやっている。

hontoカード、dカードpontaカードが使える。

9.三省堂神保町

本の街神保町にある三省堂の本店。ジュンク堂池袋みたいな感じで、ビル丸々1棟が三省堂ジュンク堂池袋と双璧をなす規模の大きさである。本の充実は言うまでもない。

三省堂カードが使える。

10.東京堂神保町

三省堂の裏にある。店自体はあまり広くはないが、3階建てなので品物は多い。カフェもある。特に人文学系が充実していると思う。あとブックカバーがおしゃれ。行ったらつけてもらうといい。

独自のポイントカードがある。

11.書泉グランデ

ちなみにブックタワーは秋葉原にある。神保町で三省堂東京堂と三つ巴を成すと言われるうちの一つ。アニメイトの経営からか、ゲームや鉄道などサブカルチャー・趣味系が充実している。

12.神保町ブックセンター

岩波出版の出先店みたいな感じのところ。岩波文庫岩波現代文庫が数多く揃う。カフェも併設されている。しかし私は岩波より筑摩派なのであまり好きではないのであまり行かない。

13.古本街に関して

古本屋は各店で特徴があり、日本文学だったり思想関係だったりで結構偏りがあるが、それがパズルのように相補しているのが神保町の古本街。先の神保町の大本屋に無かったらこっちを当たるといい。なぜならば絶版本などが手に入るからだ。

14.大学前の書店について

東京大などの前にも結構本屋が並んでいる。つまり、大学で不要になった本を売りに来ているとか、買いに来ているということで、こちらも充実する。というのも、大学の教科書、理工系は特にこういうところが得意とするものだからだ。

Ⅳ.東京市

未だに行ったことないが、立川のジュンク堂あたりも良さそうなのでぜひ行ってみたい。

 

終わりに

なぜAmazonの類があるこのご時世、私はわざわざ書店に行くのだろうか。それはまず一つに、私の旅好きという性格がある。行く先々でいろいろ発見があるからだ。しかしもっと重要な理由がある。それは本の真贋を見るためだ。これこそAmazonではできないことだ。興味あるので買おうと思った本でも中身が全然違ったというのはよくあることだと思う。あるいは、中身のない本(これを贋と表現したわけだが)を選んでしまうことがある。そういうことを防ぐことができる点で、「立ち読み」の最大の利点がある。そしてその立ち読みのできるところこそ書店であるからだ。電子書籍でもできるかもしれないが、それはほんの一部に過ぎない。本の全体を見渡せる立ち読みは書店の強みだと思う。だから私は本屋に行くのだ。

東京本屋巡り❶

東京(と川崎・横浜)のそこそこでっかい本屋をいろいろ回ってみたレポートです。写真は自分でググってください(投げやり)。あと市部はまだ未調査なのと、他に行ったところがあればちょこちょこ更新します。

番号は順位ではありません。単に思い出した順です

Ⅰ.23区西側編

1.紀伊國屋新宿

言わずと知れた紀伊國屋。ブランドは名高い。エレベーターガールもいる。新宿三丁目に抜ける地下通路に直結しているのは便利。ちなみに7階はクラオタ御用達、ディスクユニオンになっている。

※Books Kinokuniya Tokyo

昔の新宿南店の6階。ここだけ残して新宿南店は撤退し、ほかの階はニトリになっている。新宿駅というより代々木駅に近い気がするが、代々木駅はこの建物側に駅舎がない。

いずれも紀伊國屋ポイントカードが使える。

2.ブックファースト新宿

西口はコクーンタワーの地下にある。品揃えこそ紀伊國屋に劣るかも知れないが、こちらは23時までやっている。バスタ新宿(反対側だが)の高速バスとかの時間潰しに良い。

ポイントカードは新宿店限定で使えるものがある。

3.ジュンク堂池袋

都内最大。池袋は東口の南の方にある。渋い本はとりあえずここにくればかなりの確率で置いてある。ちなみに日本最大ではないらしい。梅田にマルゼン&ジュンク堂のでっかいのがある。行ってみたい。

hontoカード・dカードpontaカードが使える。

4.三省堂池袋

ジュンク堂の向かいの西武の地下にある。駅に直結している点ではこっちの方が使いやすい。本も実は結構渋いのを置いていたりする。ジュンク堂のいいライバルだと思う。

三省堂カード、そごうカードが使える。

5.マルゼン&ジュンク堂渋谷

道玄坂の東急百貨店にワンフロアで店がある。渋谷駅からはやや遠いが、渋い本も結構ある。ちなみにブックカバーが良い。表紙を入れるところがポケットみたいになっているので滑り落ちにくい。

hontoカードとdカードpontaカードが使える。

6.文教堂二子玉川

二子玉川ライズの方にある。蔦屋家電の方ではない。品揃えはそこそこと言った感じ。割と大人向けかもしれないが、隅の方にはアニメガがあるのでオタク向きでもある。

hontoカードが使える。

7.紀伊國屋二子玉川

高島屋のほうにある。⑥の文教堂と競争している感じがするが、こっちの方が落ち着いている。方向性がうまく棲み分けられている感じだ。コミックも割と多く置いてある。

紀伊國屋カードが使える。

8.ブックファーストレミィ五反田

五反田には数少ない本屋。駅や駅ビルの本屋は往々にしてショボいものだが、ここは割としっかりしているので出してみた。

東急ポイントカードが使える。

9.蔦屋書店代官山

とにかくおしゃれ。ライフスタイル提案型らしい。カフェとファミマがある。だが、本の並べ方がいまいちよくわからないので頭と目が痛くなる。しかし本はやはり規模に見合ったかなりの種類がある。

Tカードが使える。

10.青山ブックセンター

表参道と渋谷のちょうど真ん中あたり、青山学院の向かいで国際連合大学の裏の奥まったところにある。美術・デザイン関係もさることながら、哲学・思想関係も結構充実している。

Ⅱ.神奈川西部編

私は神奈川にも近いのでよく行くところがある。

文教堂本店

溝の口(武蔵溝ノ口)駅から少し離れたところにある。ちなみに駅前には溝ノ口駅前店があるが、こちらは小さい。ここは本店だけあって渋い本も結構ある。4階は文具コーナー。なぜか知らないが下りエレベーターはいつも荷物などで塞がっていて使えない。別にどうだっていいが。

hontoカードが使える。

丸善ラゾーナ川崎

ラゾーナ川崎は川崎駅の北側に直結しているでっかいショッピングモールで、ビックカメラなども入っている。やはり近いのでたまに行くが、神奈川では大きいほうらしく、品揃えは結構いい。また、丸善だけあって文房具も充実している。

hontoカード、dカードpontaカードが使える。

紀伊國屋横浜

横浜そごうの6階に入っている。同階にはロフトも入っている。デパート内の書店だが、それにしても結構品揃えはよいのと、横浜駅東口から地下で直結しているので行きやすい。

紀伊國屋カードとそごうポイントカードが使える。

丸善横浜みなとみらい

みなとみらい駅に直結するビルにあるそこそこ大きい丸善。しかし、みなとみらい線が高いので少し行きづらい。床かライトのせいでなんとなく暗い印象を受けるが、品揃えはいい。

hontoカードとdカードpontaカードが使える。

有隣堂横浜駅地下

横浜駅の地下にある割と大きい有隣堂。池袋の三省堂みたいなイメージだが、こちらは地下1階だけである。通りがかっただけでなんとも言えないので未調査とする。

有隣堂伊勢崎長者町

有隣堂本店。未調査。

 

おすすめの旅...?

おすすめの旅は何かというんですが、なんかのサイトに登録するのは癪なので勝手に書きます。旅行論みたいなのを勝手に展開します。

Ⅰ.旅とは何か

そもそも「旅」とは、住居を離れ、どこか別の場所に赴くことを意味するのが一般的な意味である。私はレジャーとしての旅行(スキー旅行とか)はあまり好きではないので予めほとんど考えないということを断っておく。ところで、松尾芭蕉は「日々旅にして旅を栖とす」(奥の細道)というように、旅行が住居だと言い放ったが、先の意味からしてお前は旅をしてないではないかという矛盾を指摘するのは野暮だが、とかく「住居」という、いわば日常の縛りから「旅」という形で解放されることを望んでいるという、旅への憧れというのは今も江戸時代の昔も変わらないものだと思う。その点時代は遡るが、デカルトさんは「学を尽くしに尽くしてどうしようもないので、じゃあ世間の人間はどう考えているのだろうかと思って旅に出た」という。こちらはこちらで、日常の縛りというよりはむしろ自分を高めようとするため(自己啓発と言えるのかもしれないが、こういう言い方は大嫌いなので言い方を変えると、知識を増やして自らの思考の糧にしようと考えたのだ)に行った旅といえる。こちらでは本来の「住処を離れて」行く旅と言えよう。しかし思考という住処が云々なんて言い出すとやはりキリがないのでやめておくが、このように考えると次のようにいえるだろう。旅というのは普段の自分を解放し、豊かにしてくれるものだ、ということである。つまり私の考えるおすすめの旅というのは、自分が自由に思うがままに考え、何らかの形で利益を得られるようなものであるべきだということだ。ここでいう「利益」はもちろん学だの見識だのというのもあるが、広く息抜きなども考えてもいいと思う。要するに普段の自分では得られないような自分が手に入れられることである。

さて、そこから私の考える(参考にならない)旅行のやり方を考えたい。

Ⅱ.旅行をする

旅行をしたいという時にあたって考えなければならないのはもちろん行先である。私の場合だいたい歴史や文学から入り、実際見に行って思いを馳せてみる(というのは実は嫌いなんだが)とか現地でしかわからないことを知ることでその背後にあることを知ろうとかみたいなことをする。例えば先ほどの「奥の細道」においては、東北の寺院巡り(毛越寺とか中尊寺とか山寺とか)をしているが、実際その足跡を辿ってみて、義経はどういうところにいたのか、なぜここにいたのかといったことを考えていくのが楽しい。そしてその跡を辿った芭蕉は何を思ったのか、どうしてその思いを抱いたのかというのを考えるのも一興だろう。あるいは、私は一介の鉄オタと船オタでもあるので、各地を巡るついでにそのような交通機関を、時間かかってもわざわざ使ってみることで、なるほどこんな路線(船)なのかと思うのも楽しいことである。(手段が目的化しているなんて言わないでね)

要するに旅行するにあたっては、何か思い立つ必要があるのだ。そこに文学や歴史の教養というのは実に役に立つ。そういう考えから今更旅行記みたいなのでわざわざ日本史の教科書でちょっと調べればわかることをまとめ、改めて検討してみるのだ。(なんてエライコト言える立場でもないが)

旅行の楽しみというとそういうもの以外にもある。グルメだ。私は旅行先ではできるだけ現地のおいしいものを食おうと考えている。そりゃ旅行先でデニ●ズとか大◯屋なんて面白くないじゃないですか。だったら多少高くても、現地の料理を食おうと思うのだ。それにあたって私が考えるのはまず味だ。いろいろ行けば味覚も(腹も)肥えるが、結局はなんとかとかいうグルメサイトなんかよりも自分の舌ベロだけしか信用ならないのだ。もちろん他人の味の評価なんかほとんど当てにならないからというのが1番の理由だが、それ以上に、現地の料理はどうしてもクセの強いものもあるが、その先入観をなくし、自分の舌による純粋な評価をするためというのもある。美味いものはうまい、まずいものはまずいと判断できる舌こそグルメを楽しむことができる最低限かつ最高の条件だ。それを養うのも旅行を通してできることであろう。

Ⅲ.宿

宿なんか実際どうでもいい。先ほどから述べるように、私のおすすめの旅行は「自分の自由に、思いのままに考え、何らかの利益を得よう」というのが第一にして唯一の目的なので、宿というのはそもそも眼中にないのだ。そこで私が考えついた究極の宿というのが移動手段である。即ち夜行バス、フェリーの類だ。特にフェリーはおすすめである。ロマンスと、そこそこ上質な宿を備えてくれている(船酔いしなければだが)。それに長距離の移動を可能にする点では、極めて有能なものだと思う。しかし、宿というのも旅の目的かもしれない(湯治など)ので断定はしないでおくが。船なら問題ないが、高速バスで問題になるのは風呂だ。実際ネカフェなどでシャワーは安く借りられるが、それは素っ気なくてつまらないので、私は道中の有名な温泉に入ってみることなどをお勧めしたい。観光ついでに風呂にも入れる。

Ⅳ.その他

旅行後にはぜひ旅行記を記すといいだろう。些末なことだろうが、そうすることで一層思い出に残ることだろう。

ちなみに、冒頭で「何かのサイトに登録するのが癪に触る」などと書いたのはなぜかというと、Ⅲあたりから分かるように私は宿という概念をぶっ壊しているので、登録しろと出た旅行サイトとは絶対に相性が悪いのだ。申し訳ないという私の温情と言い換えてもいいかもしれない。

 

2019年~ラーメン総集編~

お久しぶりです。突然ですが、リクエストによりラーメン総集編(2019年4月~12月)をやります。ラーメンに限定し、蕎麦とかスパゲッティ、うどんの類は載せない方針です。

1,@御茶ノ水

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2,@門前仲町

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3,@横浜・中華街

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4,@横浜・中華街

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5,@横浜

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6,@四谷

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7,@五反田

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8,@自由が丘

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9,@新宿

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10,@自由が丘

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11,@自由が丘

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12,@六本木

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13,@自由が丘

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14,@駒沢・ラーメン祭り

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15,@駒沢・ラーメン祭り

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16,@自由が丘

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17,@大岡山

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19,@自由が丘 13と同じ店

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20,@新宿

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21,@自由が丘

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22,@後楽園

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23,@自由が丘

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こう見ると意外と少ないんですねぇ...

 




 

夏の関西旅行〜③斑鳩と京都のお寺〜

さて、3日目でございます。午前中は奈良県西部の斑鳩に、午後は京都市南部の東寺と東福寺に参りました。

さて、まず斑鳩でございます。斑鳩地方というのは聖徳太子こと厩戸王がさまざまな寺院を建立したことで有名です。今回私は法起寺中宮寺法隆寺に参りました。いずれも聖徳宗(聖徳太子を教祖とし、経典を聖徳太子の著した『三経義疏』とする仏教の一宗派)の寺院です。

さてまず法起寺です。「ほうきじ」とも「ほっきじ」とも読みますが、最近「ほうりゅうじ」に合わせて前者の「ほうきじ」という読み方に定められましたが、後者の読みもまだよく使われます。法起寺と言いますと日本最古の三重塔が有名です。今でこそ小規模な寺院といえるところですが、古代はもっと大きく、三重塔のみならず金堂がついており、法隆寺とは金堂と塔の位置だけが入れ替わった伽藍配置をしていたようです。

 

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その次は中宮寺です。今でこそ法隆寺の隣にひっそりとある寺院ではありますが、古代は現在のもっと西の方に、もっと大きな規模の寺院として存在していました。(中宮寺跡。写真のように今は野原になっている)

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現在は下のように、小池の上にコンクリート造りの現代的な建物です。

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位置付けとしては法隆寺の尼寺ということですが、そういったことよりももっと有名なのは、なんといっても如意輪観音像(半跏思惟像)でしょう。京都の広隆寺のものと並び美仏と称されます。写真で見るとなんとなく金属感がありますが、現物を見ると黒い木でできているのがよくわかります。柔らかな印象は尊さを感じさせるものです。もう一つ有名なのは、聖徳太子の死を悼んでその妃の橘大郎女が作成したと言われる、天寿国繍帳です。極楽浄土のイメージを表した曼荼羅を絵画ではなく織物として表現したもので、現在はその断片のみ残るものの7世紀の織布、また、芸術として貴重なものと言えましょう。その絵柄というのは隋唐の影響を多分に受けたであろう割と濃いめの顔つきで、金糸を多く用いた華美も見えます。

さて、そのすぐ近隣には、法隆寺の夢殿があります。前も一回申し上げましたので軽くさらいますが、夢殿は八角形をした堂で、ここに救世観音が秘仏として祀られています。法隆寺の西院(五重塔などがある方)はだいたい7世紀の初頭の建立に対し、夢殿・東院に関してはやや降って8世紀の建立です。

そこからさらに西に行きますと、こちらは西院があります。五重塔や金堂は世界最古の木造建築であるというのはいうまでもなく有名です。

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さて、あまり長々と書かないようにしつつ、次は京都関係でございます。まずは東福寺です。三門は国宝になっています。荘厳な入口です。

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東福寺鎌倉時代に建立された寺院で、足利政権の時、「五山十刹」という、官寺として定められた臨済宗寺院のうち、京都五山の第4位に位置付けられた大寺院です。(ちなみに京都五山の1位は天龍寺鎌倉五山のほうの1位は建仁寺、4位は浄智寺、いずれも別格本山として京都の南禅寺がある)これにより、幕府が寺院をも司ることになりました。(そもそも足利尊氏らが臨済宗を信仰していたため、夢想疎石がそれに関わった。)東福寺は、もともと藤原忠平が建立した寺院で、藤原氏の氏寺であった法性寺があった場所に建てられましたが、現在こちらは衰退し、付近でひっそりと存続しています。また、かつての本尊は高さ5丈(約15m)の釈迦如来像だったといわれていますが、現在では長さ2m仏像の手の一部を残して焼失してしまったようです。と言いつつも、寺院とはいうものの、仏像とかそういう関係よりは景色が良いです。つまり、方丈庭という枯山水庭園や、緑広がる渓谷を見下ろす通天橋なんかはJR東海の大人の休日倶楽部のCMでよく見ることでしょう。

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この後、同じく京都駅・八条通りの南側の東寺(教王護国寺)に参りました。

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東寺の五重塔です。新幹線で京都~新大阪で、京都駅をでた直後に見える塔はこれです。ところで、東寺というからには対に西寺もありました。同じく九条通り、朱雀大路を挟んで反対側でしたが、西寺は廃れて塔の跡だけが残っています。ちなみに東福寺に関しては「西福寺」なるものはこの寺院の対にはありません。これは、奈良の「東」大寺、興「福」寺をとっているためといわれています。

さて、この東寺と言いますと、空海嵯峨天皇からここを賜り「教王護国寺」として大寺院にしたことが有名で、要するに密教系の寺で、真言宗総本山です。そういうわけで、立体曼荼羅が有名です。

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立体曼荼羅とは、先述の曼荼羅を絵画ではなく像という形、二次元の平面から三次元の立体に現したもので、中央に大日如来を鎮座させ、周囲に十二神、四天王、不動明王など配置したものです。各像が厳つく作られているので、したがって曼荼羅全体の雰囲気というのは圧巻の極みです。こちらは講堂に安置されています。最近東京国立博物館で東寺展がありましたが、その時以来(約2か月)の再会でした。

一方、東寺の本尊はこちらではなく薬師如来です。薬師如来のほうは、十二神は台座を囲むように並んでおり、脇侍に日光・月光菩薩がいました。こちらは金堂に安置されています。

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このように東寺もなかなか大きい寺ということがわかります。

 

さて、以上で今夏の関西旅行が終わりまして感想を申し上げますと、やはり古都はよいという一言に尽きます。それにしても盆期間中の混雑といい高速バスの値段といい、割ときついところもあったというのは一言申し添えておきます。

夏の関西旅行〜②遺跡系と京都国立博物館〜

2日目でございます。実は休日だったので、3日目に博物館関係に行こうとしていたらだいぶ予定が狂った(しかもそれに気づいたのが1日目の早朝)のは内緒です。

さて、それはおいておきまして、まず参りましたのは箸墓古墳纏向遺跡です。

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纏向遺跡というのは、弥生時代後期の遺跡です。付近(6km程度西)に唐古・鍵遺跡があり、詳しく比較するのはそちらでしたいと思います。こちらでは、纏向遺跡の最大と言える特徴、なんといっても当時の日本の政治の中心地だったと言われているところの、邪馬台国にまつわるお話を、ほぼ独自考察でいたします。

さて、邪馬台国の場所に関しては著名な2説があります。一つは畿内説、もう一つが北九州説(北九州市ではなくて九州北部という意味で)です。ほかに四国だの東遷説(日本書紀の、神武天皇の東遷伝説に合わせて)などがありますが、あまり現実的ではないと考えられています。まず畿内説を取ると、まさにこの纏向遺跡邪馬台国に当たると考えられます。その根拠として、第一に大規模な政庁らしき建物の跡(上写真。発掘調査に基づき柱の位置が再現されている)、第二に卑弥呼の墓(魏書における径百歩の大墓の記述。下写真の箸墓古墳と目されるが、時代が合わないという説もあり、そもそも魏志倭人伝上には円墳のような記述があるので違うかもしれない)という点です。一方で北九州説として、第一に大規模集落跡(吉野ヶ里遺跡など)、第二に魏書における方向の記述が挙げられます。しかし、いずれの説にも決定打に欠けるものがあり、その最たる原因は魏書における方向・距離記述の不明確さです。これにそのまま従うと太平洋の大海原に出てしまい、国が云々の話以前です。そこで、まず距離をいじってみた方のが九州説、方向をいじってみたのが近畿説です。色々言い出すのもできますけど、例えば羅針盤の使用を考えると、羅針盤はすでに後漢の時代にはあったものの、その使用方法は占術という全く方向性が異なるもの(だから長安や洛陽では皇帝が北にいるということもできる。なぜなら方位磁石は北にしか向かないので、それが転じて北は天子たる皇帝が居る方角なんていうもっともらしい理由がついたのかもしれない)で、六朝魏晋南北朝時代には指南魚というまさに羅針盤もどきみたいなものができたわけですが、果たしてそれを航海に使っていたのかという考察からしなければならないわけです。おそらく使っていないことはないでしょうけれども、先ほどの天子たる皇帝のいるところの洛陽を北として記述しているのであれば、それは90度程度(日本は洛陽のちょうど真西の方にある)ずらさなければいけない。それが方角をいじるというところです。一方で、距離の計測もなかなか分からないところです。第一単位がよくわからない。盛っている可能性だってある。そういうわけで、出来るだけ他の史料に当たりつつ構成してみることで、距離をいじるということになるわけです。そういうわけで、いずれも史料からはなんらかの校正が必要であることには変わりなく、先ほどの決定打に欠けるというのはこういうことなのです。個人的には実際にやってみないとわからないと思うところで、先日、中国だかどこかから沖縄まで丸木舟で行ったなどというのがありましたが、こちらも是非やってみれば極めて強力な根拠になると思います。

ということでどちらの説をとろうかというのはごまかしておきます。やる気があったら検証してみます。さて、その次に行ったのは唐子・鍵遺跡です。

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なぜこんな名前なのかと言いますと、単純に唐子地区と鍵地区にまたがっているからというだけで、史跡公園内には「唐子池」、少し離れたところに「鍵池」という江戸時代に作られた農業用水のため池がありますが、これらが示す通りです。

さて、唐古鍵遺跡というとまず有名なのが楼閣でしょう。現在建っているものは無論近年の復元のもので、しかも唐子池の隅の方に建っているものではありますが、おそらく「建っていたであろう」という証拠がまさに土器の彫刻にあります。

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やたら軒先がくるりと丸まっている、割と前衛的な感じを受ける意匠はここに由来しているわけですが、果たして本当にそうだったのかは誰にもわかりません。ただ、おそらくこの辺りでは祭祀が行われていたであろうということが推測されています。また、時代は約1000年近く降って太平洋戦争中には高射砲が設置されていたようです。また、環濠遺跡ということで堀の跡もあります。

さて、この唐古・鍵遺跡と纏向遺跡の関連を少し考えてみましょう。先ほど述べた通り両遺跡は距離にして6km程度、歩いて1〜1.5時間程度と極めて近隣だといえましょう。時代も唐古鍵遺跡の末期と纏向遺跡の初期でかぶるところがあります。しかし性質としては、纏向遺跡が政庁関係の跡地であるという説のほか、付近の自然崇拝で古来からある三輪山関係の祭祀遺跡とも考えることもできるかもしれません。先ほどの柱跡なんかは高床倉庫のものとも考えられています。つまり祭祀具関連の貯蔵庫と考えることもできます。ただ、そうするとなぜわざわざ三輪山の真正面に作らなかったのか(纏向遺跡三輪山大神神社は2km程度離れている。遠くはないものの、そんなに遠い場所に作る理由がよくわからない)という点で、やはりなんらかの都の跡と考える方がいいのかもしれません。一方の唐古鍵遺跡も、楼閣の存在(ただし物見櫓かもしれない)、こちらにも大倉庫の跡があることで祭祀関連の施設はあるものの、サヌカイトなど石器等の発見によりやはり集落跡といえましょう。事実そう取らないと環濠の意味がわかりません。

さて、唐古鍵遺跡から次は京都国立博物館です。

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前も一回国宝展やっているころに行った(というかそれがそもそも第一回の旅行の目的)わけですが、今回は平常展がどういうものなのかということで参りました。

日本には東京、奈良、京都、九州と、歴史民俗博物館(千葉・佐倉)、アイヌ民俗博物館(北海道・白老、2020開館)、科学博物館(東京)といった国立博物館があります。それぞれ博物館の個性があり、例えば奈良なんかは仏像がとにかく多く、京都は関西圏の国宝が数多く、東京は様々なものを広く置いてあり、九州は古代からの日中交易などといった関係の展示が充実しているといった具合です。

京都国立博物館に関しては方広寺(豊臣秀吉造営の寺院。刀狩で押収した刀で作られたらしい大仏と、家康の怒りを買って大坂冬・夏の陣の切掛となった鐘銘(君臣豊楽、国家安康)があった寺院ですが、現存せず、現在はそれを偲ばせる程度に豊国神社があるのみです。一方でその西側にできたのが京都国立博物館で、方広寺の門の跡が平成知新館の入り口に示されています。(前来た時は気づかなかった。なんたって混んでいたもので)

さて、京都国立博物館には先ほど述べた平成知新館と明治古都館があります。現在明治古都館の方は、耐震工事や発掘調査などで閉館しており、平成知新館のみが使用されています。企画展、常設展いずれもここでやるために、企画展がある場合には常設展が休止になるということで早い復帰を待ち望んでいるところですが、そういったわけで、今回は時期を見計らって常設展を見に行ったわけです。

私が面白いと思った展示としては、御伽草子の絵巻物のうち、「福富長者物語」です。そもそもここで初めて知ったわけで、知名度もあまりないと思われますのでざっとあらすじを申しますと、珍妙な屁の音が出る高向秀武なるおっさんが、その特技のおかげで財を成したことを聞きつけた隣のおっさんの福富なる人物が真似をしようとしたら脱糞してえらい目にあったとかいうなんとも滑稽な、あるいは馬鹿馬鹿しい話ですが、それよりも絵巻物の絵の緻密さというのはやはり見所があります。

この後、やや時間が余っていたので蓮華王院に参りました。

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三十三間堂とも呼ばれますが、これは本堂が33間(  m)あるためです。なぜこんな長いのかと言いますと、1000体の千手観音を並べているからです。千手観音は1000の世界を救うので、1000体いるということは、1000000の世界を救うといえましょう。また、このお堂の長さゆえに弓道大会( )も行われていたといいます。よく通せますな。

さて、そういうわけで2日目を終えまして、3日目に参ります。

 

 

夏の関西旅行①〜大阪・奈良・天理〜

恒例の(?)夏の関西旅行記と取るに足らないうんちくです。

メインイベントのものはプライベートなので言いませんけど、そのあとの余興(3日)のまとめです。お盆ということで移動手段の確保がなかなか厳しく、¥8000近い高速バス、しかも4列スタンダードという修行を積みましたが、宿は快適です。

さて、1日目はメインイベント終了後、すぐ南にある大仙古墳(仁徳陵古墳)に行ってまいりました。つい先日世界遺産に登録された、日本最大の古代の墓です。f:id:unknownhuman12340:20190811210118j:imagef:id:unknownhuman12340:20190811210221j:image

全景は上空から見ないと見ることなどできませんが、一応横から見るとこのような感じ(上の石でできているのは俯瞰的に周囲の古墳も示しているもの)です。見ればわかるように鳥居がありますが、これは宮内庁によって天皇陵、すなわち神道の神の一人として祀られているからというわけです。その天皇こそ仁徳天皇とされています。なお考古学的には、仁徳天皇崩御と推定される時期と古墳の年代がどうも合わないらしいですが、いずれにせよ最大の古墳であるという事実は揺らぎません。

まずは仁徳天皇についてです。日本の古代の天皇は実態がよくわかっていない(なぜなら日本書紀古事記の誇大だったりとかするからで、なぜ誇大しなければならないかというと、それこそ奈良時代に日本が目指した唐と同程度の実力と歴史を持つことを示したいからでしょう、だからいわゆる「欠史八代」という、2代・綏靖天皇〜9代・開化天皇がいるわけです。実際史料批判とかしてみると29代・継体天皇以前がほとんど怪しいらしいが)中で、中国の宋書梁書に出てくる倭の五王のうち、「讃」や「珍」に当てることができる点で、おそらく実在したのだろうと考えられています。(先述の継体天皇以前は怪しいという説に乗るとこれもバカバカしいのではないかとも言えるかもしれないが)

次に古墳自体に関してです。大仙古墳は、その規模ゆえに陪塚(ばいちょう。先の俯瞰的模型の写真では、大仙古墳の周りにある小さい山々みたいな古墳)が数多くあります。それとは別に、大仙古墳から少し南に行くと、百舌鳥耳原南陵(履中天皇陵と比定される)という大仙古墳には及ばないまでも大型の古墳があり、東に行けばニサンザイ古墳というやはり大型の古墳があります。これらは概ね堺市北区百舌鳥のあたりに集中して存在するため、「百舌鳥古墳群」と呼ばれています。また、さらに東に行くとしばらくは古墳は見られないものの、羽曳野市古市のあたりに、誉田御廟山古墳(応神天皇陵と比定される)という、大仙古墳に次ぐ大きさの古墳があり、その周辺には仲津山古墳などといった大小様々な古墳が集中しています。これらは「古市古墳群」と呼ばれ、先の「百舌鳥古墳群」とともに、2019年に世界遺産に登録されました。従って先ほど「大仙古墳は世界遺産に登録された」というのは、間違いとまでは言い切れないものの不正確だと言えます。

古墳に関しては、被葬者が誰なのかというのはかなり謎に包まれています。その考古学的調査が待たれます。また、個人的な疑問点としては、特に前方後円墳前方後方墳などのような古墳においては(もしかすると円墳や方墳などでも言えるだろうが)何を基準に方向が定められているのかということです。百舌鳥古墳群を見てもわかるように、大仙古墳や百舌鳥耳原南陵古墳なんかは北北東方向を向いていますが、同じ古墳群のいたすけ古墳やニサンザイ古墳は東南東の方向を向いています。同様に古市古墳群でもいうことができます。棺の方向の関係などが考えられると思います。しかしそれをいうなら、棺をなぜその方向にする必要があったのでしょうか?占いか何かなのでしょうかね?ということで、研究が待たれます。

さて、次は奈良に行きました。元興寺と新薬師寺でございます。

まずは元興寺です。f:id:unknownhuman12340:20190811215717j:imagef:id:unknownhuman12340:20190811214535j:image

元興寺は、明日香村にある飛鳥寺平城京遷都とともに移転(完全というわけではなく、飛鳥寺が残っているように一部残ったままの移転)したものです。もともと蘇我氏が建立した氏寺だったわけですが、南都七大寺という大寺院グループの一つということで移転したのでしょう。さて、今でこそかなり廃れ規模も縮小したものの、創建(移転)当時は極めて大規模な寺だったということが、この北方にある塔跡などから伺えます。また、建物自体も飛鳥から移設・移築したものがあったようで、飛鳥時代の瓦が使われている部分があるらしいです。また、行基葺という、屋根瓦に特徴的な跡(菱形が連続して残る)のある瓦も見つかっているようです。f:id:unknownhuman12340:20190811215617j:image

その後、猛暑の中延々と歩いて新薬師寺に参りました。奈良公園春日大社の奥の方にあります。

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f:id:unknownhuman12340:20190812225255j:image薬師寺は、西ノ京駅目の前の薬師寺とは関係ありません。いずれも規模は多少縮小したものの現存します。もちろん由来も異なり、薬師寺天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈願し、後者は光明皇后(藤原光明子)が、夫の聖武天皇の病気平癒を祈願し、いずれもそれに該当する仏である薬師如来を本尊として発願・建立されました。(前者の薬師如来は前行ったのを記事にしているんで是非見てね)

さて、新薬師寺といいますと、薬師如来がやはり有名です。薬師寺が美術年代で言う所の白鳳時代(天武・持統天皇の頃)、こちらは天平時代(聖武天皇の頃)です。天平時代くらいまでの仏像は、それぞれ個性が強く、新薬師寺目がはっきりしていることが特徴的だと思います。また、十二神将像がそれを囲みます。十二神将とは、十二支のそれぞれを擬人化(擬神化とも言える)したもので、巳年の私は巳年の神さまをお参りしました。兜をかぶり、槍を持っている姿は凛々しくかっこいいものです。

その後宿に参ります。今回の宿は天理市にとりました。

さて、天理市と聞くとまず思い浮かぶのは間違いなく天理教でしょう。天理教は、明治時代に中山みきを始祖として始まった宗教(大日本帝国時代には教派神道の一つ。ほかには金光教黒住教など、日本史の教科書に載っている)です。教派神道は幕末に成立した神道系の新興宗教です。明治時代、神道が民衆に浸透する一方、これら教派神道も一種の神道として政府にに認められていきました。その一番最初に認められた教派神道天理教です。

さて、新興宗教というと、某平成初期に国家反逆を企てたカルト宗教や、あるいは頻繁でしつこい勧誘ということで世間から煙たがられるような節がありますが、そもそも「新興宗教」の意味合いとしては「新しく興った宗教」という意味に過ぎません。第一、カルト教団であれば政府が認めるわけはなく、否定的な文脈で教科書に載ると思われます。我々は宗教をタブー視し忌避するようなのではなく、積極的に理解し、受け入れることがこれから求められることだと思います。(無論カルト宗教は突っぱねるべきだが、それにも最低限の理解は必要)そういう私は無神論者みたいなことを言いますが、無神論者なら寺社仏閣なんて行きませんしキリスト教系の受難曲だのカンタータだのなんて聞きませんからね、信条に反しますからね。完全なる無心論者ではないわけです。ただ単に誰がどんな人だのというのには全く関心がないだけの、救ってくれるなら誰でもいい貪欲な人間だというわけでございます。

さて、天理教に関して軽く触れておきましょう。先ほど述べた通り、創始者中山みきという江戸時代末〜明治時代に生きた女性です。現在の天理市に当たる場所で生まれ育ったため、天理教においては天理市を、ちょうどイスラム教のメッカに当たるようなイメージで聖地として扱います。この聖地・天理(人間発祥の地とされる)を「ぢば」といい、天理への巡礼を「おぢばがえり」といいます。このために天理駅やその周辺には、「ようこそ おかえり」という看板が随所に見受けられます。教義は「陽気暮らし」で、陽気に楽しく暮らそう、そういう世界を目指そうということを第一の教えとし、他人、それがたとえ他宗教や敵対者であったとしても愛することです。このためにカルト化せず、穏健な宗教になったという考察もできるかもしれません。

あまり深入りし過ぎて勧誘になると困るのでこの辺で切り上げまして、次は地方公共団体としての天理市を見ます。宗教都市ということでなにか変わるものはるかというと、実際あまりありません。ただ、日本のほかの宗教都市(神道の例で行くと伊勢市橿原市出雲市など)はせいぜい門前くらいが神道(とそれに乗った商売)色が強いものの、街全体で神道というのはりません。一方で天理市は中心部が天理教で、その周囲となるとあまり強くないものの、やはり中心部の天理教インパクトは大きいものです。なんたって市役所も天理教関係の施設のような外見をしているのです。だからといって決して市役所業務も天理教がやっているかというとそうではありません。外見以外は普通の市役所です。人口は6万5000人程度と一般的な感じですが、7月下旬〜8月の「こどもおぢばがえり」の時には20万人ほどが天理市を訪れるので、人口の割には駅や道の規模は大きいです。駅には団体待合所や団体改札があります。

さて、天理市といえば天理教イメージの一強ではありますが、それ以外にも色々見るべきところというのはあります。まずは石上神宮(いそのかみじんぐう)です。天理市にあるものの、こちらは純粋に神道の神社で、なおかつ「神宮」とあるように旧官幣大社という大きな神社です。布都御魂大神を祀っています。f:id:unknownhuman12340:20190812223232j:image
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日本書紀』において「神宮」と称されるのは、ここと伊勢神宮だけで、しかも伊勢神宮と並び最古の神社とも言われます。飛鳥時代の頃には物部氏氏神の神社として存在していました。現在、拝殿は国宝になっています(が、畏れ多い…というよりは撮影がどうなのか微妙だったので撮影していませんが)。このほか、古墳が多数あります。おそらく物部氏関係なのかなと思うところですがよくわかりません。しかし、天理市というのは天理教インパクトに比しても神道、ひいてはふつうに歴史も深い場所で、知れば知るほどその面でもインパクトがやはりあります。

最後に、天理市の印象についてです。宗教都市ということで、勧誘だの謎の儀式だのというのはないかというのは、きっぱりと「ない」といえます。休日だっただけかもしれませんが。ただ、天理教関係者(はっぴを着ている)はたまに見かけますし、なんだったら天理教関係者の宿泊施設(「母屋」という。でっかいアパートみたいな建物)は随所にあり、多少気味悪さがあるかも知れませんが、逆にいうと静かなところです。交通の便はJR万葉まほろば線近鉄天理線奈良交通のバスがあり、近鉄天理線は京都や橿原神宮前まで直行でき、本数も20分に1本程度とそこそこあります。バスは近鉄・JR奈良駅まで行くので割と便利です。問題がJR万葉まほろば線で、こちらは隣の桜井市にある纏向遺跡(巻向駅すぐ)や、大神神社(三輪駅)、また、王寺駅奈良駅から法隆寺駅へのアクセスが便利な一方で本数が1時間1、2本程度というローカル線なので注意するべきだと思います。

1日目は以上です。

おまけf:id:unknownhuman12340:20190812225513j:image
f:id:unknownhuman12340:20190812225517j:imageそういえば最近せんとくん見ませんね…?