とあるツイ廃のブログ

ツイ廃が140文字で抑えきれないなにかをただかきつくるもの

ワーキングホリデーの総括~第1回 概観~

久しぶりの更新がそれかい、という話はさておき、写真を載せるのもめんどくさいので、ここに私のインスタグラムを貼り付けておくので見るなりフォローなりしてください(宣伝。私に金は入りません)。細かいことは投稿にごちゃごちゃに書いてあります。

https://www.instagram.com/nuinguenhuman/

 

さて、たぶんこれからアイルランドへのワーキングホリデーや留学へ行く方(もしかしたら他の国でも?)の参考にならないかもしれない概観記事でございます。

アイルランドへワーキングホリデーをする場合に現地でしなければならないことはこのページにまとめてあり、それ以降のことは第2回に投げておきます。

まず、アイルランドのワーキングホリデーの申し込み方法等については、アイルランド大使館のサイトを参照してください。

https://www.ireland.ie/ja/japan/tokyo/services/visas/working-holiday-programme/

 

前提条件として、私はワーキングホリデーや留学のエージェント的なものは全く利用していません。ただし、オーストラリアやニュージーランドに比してアイルランドに関しては情報があまりないので、エージェントのQAとか掲示板みたいなのは多少参考にはしましたが、最終的にはそういう仲介業者に対して一切金を払うことはありませんでしたので、それをご承知おきください。エージェントのレビューは求められても私はわかりません。

 

0.1年間の概観兼もくじ

さて、手始めに2024年5月15日~2025年4月29日までの約1年間(うち1ヶ月は中欧旅行)の内訳をまず示すことといたしましょう。ついでに目次も兼ねています。

1. 5月~7月:英語学校(ウォーターフォード、ISE)

とは書いたものの、最初の3日間はダブリンを観光していました。そんなに大きい市ではないので3日あれば十分巡れますが、パブや喫茶店が素晴らしいところです。

さて、ウォーターフォードアイルランド第5の都市である(日本でいうと福岡に相当しますね)とはいえ、実際は泉南市と同じくらいの人口(6万人くらい)しかないところです。しかしながら人口密度が高いので、静かではあるけれども夜は賑やかです。

最初の2ヶ月はここにあるISEという英語学校に通っていました。ワーキングホリデーでは、最初の何ヶ月かは語学学校に通うというのは割と定番の流れですが、理由は現地の言語に慣れるというものだけではなく、学校が住居を手配してくれる*1ため、最初の何ヶ月間は少なくとも住居の心配をする必要がないのです。

選んだ基準は端的に価格です。先程エージェントは利用していないとは言いましたが、学費等の比較検討に使った(かつそれだけ)のです。申し込み自体は学校にダイレクトにしました。ISEには日本人の受付の方がいらっしゃいまして、その方がwhat's appとかでいろいろ相談に乗ってくれたり入学手続きなどもしてくれます。

語学学校に関しては、私はこんな感じでダイレクトにやりましたが、エージェントを通してみるとダイレクトにやるよりも安かったりするかもしれないですし、サポートがしっかりしているというメリットもあるでしょう。しかしエージェントに支払う手数料なんかが高い可能性は得てしてあるので、そのへんの比較検討は熟慮して行う必要があります。私の場合色々比較検討した結果、ダイレクトに申し込んだほうが最も安かったというのでそうしたわけです。ここだけの話ですが、現地サポートってほとんど使いませんよ。周囲の学生の友人と協力すればだいたい解決しちゃうので…

 

でもってですが、2ヶ月の間に次の滞在先を見つけなければなりませんでした。なかなか見つからなかったので焦りましたが、最終的にhosting powerで見つけた物件で、ウォーターフォード県の西側、ダンガーバンとティペラリー県の南部、クロンメルの間の田舎に行くことになりました。

アイルランドの家の探し方

アイルランドでは次のような住宅の探し方があります:

facebookやmixbなどの伝手

これもよく言われますが、やはり詐欺や犯罪まがいの行為が行われることなどが多い。しかしながら最終的にこれで見つける人も多い気がする。mixbは「探しています」系の投稿も多くて紛らわしい。

・語学学校やバイト先からの情報

確実。だが情報はあまり来ないかもしれない。

daftアイルランドの住宅情報大手。シェアハウスから住宅購入まで広く扱う。

よく言われますが、これでよさげ物件を見つけても、家主や大家から返信があるとは限らない(というかほとんどこない)し、詐欺の場合もしばしばある。

hosting power:ホームステイ専門(というか住宅の空き部屋)の紹介・仲介サイト。

daftで「booking adviser」とあればこれ。町中から田舎の一軒家で、空き部屋を貸して活用したいというオーナーと、部屋を借りたいという人のマッチングを行っている。

ところで、hosting powerの情報が日本語ではかなり少ない(調べたら日本語サイトは1つしかない)ので説明します。

①まずは物件を探しましょう。地域(5大都市のほか県ごと)や日程(最小4週間)、性別を設定して、良さげな物件を探します。物件や住人の情報も提供されているので、それをきちんと確認するほかにも、地図はよく見ましょう。見ないと車必須かつバス停すらないだいぶ田舎に行くことになる可能性がありますし、田舎が良ければ助けになることでしょう。逆に聞いたことがない地名でも意外と大都市に近いとか交通の便がいい場合もあります。

②Book Nowから予約します。自己紹介やタバコを吸うかどうかはもちろん、資金のめどなど、その辺の情報を提供します。この辺の参考文は、調べれば出てくるdaftと同じような感じでいいでしょう。

③daftに仲介手数料を払い、先方からの返信を待ちます。daftとは異なり、受け入れ可否の返事は必ず来ますので、この点で信頼性が高いです。無論拒否される可能性もありますが…

ちなみに仲介手数料はかなり高い(1ヶ月合計600ユーロに対して425ユーロの手数料)ですが、基準はよくわかりません。

④受け入れ可の場合は滞在開始日を待ちます。不可の場合は他の物件を探します。

滞在開始日までに受け入れ先から別途支払い請求があっても、それは拒否してください(という内容の書面がhosting powerからくる)。安心ですね。ただ、受け入れ可だった場合はすぐに受け入れのお礼のメッセージを送りましょう。

受け入れ可だった場合、hosting powerから手数料の領収書、住所証明、居住ルールのPDFが送られてきます。この住所証明は、IRPカードの申請(後述)で有効です。

家賃の支払いは現金か、家主が許可すればwiseやrevoluteでの支払いが可能です。初週はデポジット込み家賃の2週分を払いますが、退去時にデポジットは返却(問題なければ)されます。

受け入れ拒否された場合、hosting powerへの仲介手数料は受け入れのメッセージを送った時点で支払っている(③のことね)ので、受け入れ不可だった場合は追加料金なしでそのまま他の物件を探します。

それでもどうしても見つからなかった場合は、仲介手数料は返金されます。

いずれにせよ、アイルランドの家賃は月払いの場合ももちろんあるけれども、週払いが結構あるので、それを確認しましょう。それにしてもアイルランドの家賃は高えぞ。

2. 7月~8月:ウォーターフォードの西部の田舎

さて、無事に家を見つけたのでそちらに行きました。すげえ田舎で空気がきれいだったほか、馬の世話などをしたり飼い犬や猫と遊んだりして人生で最も夏休みらしい日々だったという思い出があります。また夏に行ってみたいなあ…

IRPカードを申請する

さて、アイルランドのワーホリの一大イベント、IRP(Irish Resident Permission)カードの申請です。アイルランドに連続で91日以上滞在する場合は、観光ビザでは滞在できない(したがってワーホリでは必然的に)外国人登録が必要です。登録には事前予約が必要で、登録料300ユーロが暗証番号決済の物理クレジットまたはデビットカードで必要です。

2025年5月以降、IRP登録はどこで居住しているかを問わず、最初にBurgh Quay appointments*2のサイトで予約を取り、おそらく全員ダブリンで登録をするという方式になったようです(が未確認。この情報は2025年5月19日現在、日本語の情報がない)。

詳細は次のサイトで調べてください。

How to register your immigration permission for the first time - Immigration Service Delivery

IRPカードは在留カードなので、警察官(Gardai)から聞かれた場合は提示しなければなりません(が、実際のところ聞かれたことがないので提示したことはない)。当然ですが、住所が変わったらそれを直ちに申し出る必要があります。

アイルランド国外へ出る場合も携帯する必要があり、再入国時はアイルランドの国境審査で提示する必要があります。しかしながら帰国時には日本の在留カードとは異なり、返却する必要はありません(Burgh Quayで返却もできるはず)。

なお、アイルランドからイギリスへの入国では国境審査やパスポートチェックがありません*3(共通旅行区域のため)が、大陸ヨーロッパへ行く場合は、アイルランドは非シェンゲン圏なのでパスポートとIRPカードと国境審査が必要ですし、もちろんEU外に出る場合は当然そこで要求される書類が必要です。

 

3.第2回の予告

3. 9月~1月:Workawayでグレンダロックで住み込みボランティア

グレンダロックってグレンダロッホって書かれがちですけど、本当の発音は前者です。

ダブリンの南、ウィックロー県にある歴史的な場所で、長い間ハウスキーパーのボランティアをやっていました。

4. 1月~3月:ニューポート(メイヨー県)のB&B兼パブでバーテンダーとかキッチンスタッフなど

西の方へ行きたかったので、北西部のメイヨー県のパブでもボランティアをするなどしていました。

5. 4月:中欧旅行、29日に帰国

中欧のビールは美味しい。

 

という感じで、アイルランドの備忘録第1回でございました。

 

 

 

 

*1:ちなみにISEのウォーターフォード校は、私が行った当時はシェアハウスを手配してくれましたが、現在はホームステイだけになっています。ホームステイのほうが割高ですが、コミュニケーションや現地コミュニティに入るという意味では有効かもしれませんし、居づらいと感じるような人であればただただストレスになるかもしれません。それは人によりけりでしょう。

*2:ちなみにかつてGNIB(Garda National Immigration Bureau)と呼ばれていたんですが、2025年1月以降、ISD(Immigration Service Delivery)に変わったようです。私がいた頃からだいぶ変わりましたね。ちなみに参考までに、私がいた頃はウォーターフォード等の場合、警察署(Garda)にメールを送って予約をとり、警察署で登録するというもので、ダブリンやコーク、リムリックの場合は、ダブリンのBurgh Quayの予約を取ってそこに行って登録をするというものでした。

*3:ただ記憶違いをしているかもしれない。バンコクと混ざっちゃっているんですが、パスポートをかざすことすらしなかった記憶があるんですね。国境審査やパスポートチェックが必要ないんだったら、アイルランドからイギリスへ行くならETAを取らなくてもいいんですよ、私は念の為取りましたけどね。

今更旅行記 ~沖縄・与那国・八重山諸島~

今更旅行記、今回は11月に行った沖縄でございます。
特に与那国島は、金銭的にも時間的にもその他諸々の理由で行くことが困難な離島であるという点において殊更に共有するべきだと考えたので今更書き始めました。

1日目:那覇

夜遅くに羽田を出発して到着した那覇空港は、11月だというのに湿度が高く暑かったものであります。
那覇空港ゆいレールと直結しており、「日本最西端の駅」という地位となっています。なお隣の赤嶺駅は「日本最南端の駅」らしいです。

初日は、せいぜいこれとご飯を食ったことと国際通りを徘徊したくらいのことしかしていないので、これ以上書くことがありません。

2日目:与那国へ

さて、本題その1である与那国島の話になります。
この日は国際通り琉球行列の祭りをやるというので、それを見てからいくか大いに迷ったのですが、今回与那国島へ行かないと後悔する気がしたのでさっさと出発してしまったのでした。もう少し日程が緩ければ行ったんですがね…
那覇空港でちょっとした買い物(主に土産や食事)をして、与那国島へ出発です。どうでもいいことに、那覇空港から出発するときの隣のカウンターはかの有名な大東島便でした。今度時間があれば行ってみたいものです。f:id:unknownhuman12340:20240329215446j:image
閑話休題那覇から与那国への1時間、普通の飛行機より少しばかり座席が広い気がしたプロペラ機に乗って与那国空港に到着です。

1 与那国島の地理・交通事情

1-1 島の概説f:id:unknownhuman12340:20240329215803j:image
1-1-1 島の地理
言わずと知れた日本最西端の島・与那国島は、石垣島から約100kmの距離に位置しており、行くには小さい航空機か船かという感じのの距離感です。(目安として竹芝桟橋から伊豆大島までがだいたい100km)与那国島からは、石垣島より台湾に近く、島の西部の久部良中学校からは、秋の晴れた日には台湾が見えるといいます。島は周囲30km程度、遠浅のサンゴ礁広がる他の八重山諸島の島々とは異なり、周囲は概ね崖に囲われています。f:id:unknownhuman12340:20240329215844j:image
したがって島の起伏も激しく、島全体として平地は与那国空港と集落の海岸線周辺くらいではないでしょうか。
島には3つ集落(町名ではない)があり、北側東部には最大かつ町役場などがある祖納集落、南部の中央には比川集落、北側西部には港で栄える久部良集落があります。それぞれの集落には商店があり、価格はコンビニ程度ですが食料品が調達できます。人口はその3箇所に集中しており、小学校は各集落に、中学校は祖納・久部良にあり、高校は島内には存在しません。かつてはさらにもう少し集落があったようですが、現在はこの3つだけとなっています。
これら以外の場所には人がほとんどなく、与那国馬という在来馬が放牧されているところとなっています。f:id:unknownhuman12340:20240329215557j:image
気候は亜熱帯ゆえに蒸し暑いです。長袖で行くと腕まくりをするか、さもなくば汗で濡れるかという感じの暑さで、しかも島内には集落外にほとんど自動販売機がないので11月でも熱中症になりかねません。
天気は晴れの日がかなり少ないです。私は3日間いたのですが、そのうち連日で2日晴れていたのはめったにないことだと思われます(しかし3日目は雨が降っていた)。また、晴れていたとしても突然の天気の急変があり、スコールかなんかで突然の大雨になることもありますが、これはすぐに止みます。しかし雨上がりの夜空は非常に美しく、特に冬~初夏には南十字星が見えるはずなので、それだけのために与那国島へ行く価値はあると思います。

1-1-2 島のアクセス・交通手段
島へのアクセスは、飛行機と船(フェリーよなくに)があります。
飛行機はRAC琉球エアーコミューター)が運行しており、那覇行が1日1便(那覇発は2便)、石垣行が1日4便(石垣発は3便)となっており、那覇からは約1時間で、石垣からは約30分程度で到着します。いずれも本数は多くない上に、客も小型のプロペラ機の割には満員にはならなかったので十分なのだと思います。ところで与那国島はカジキが有名らしく、カジキを飛行機に載せて運ぶらしいので、それ用の荷物室として機体の後ろ半分が充てられています。
一方のフェリーよなくには、飛行機より圧倒的に安い(4000円しない)ものの、毎週火曜と金曜の朝10時に石垣港(しかも竹富島などへ行く離島ターミナルではなくその対岸)に出港し、そして揺れることで有名です。与那国島は「どなん(渡難)」と呼ばれるように、気候や海によって到達するのが困難だと古くから言われており、それを検証するべく一度乗ってみたいものです。
島内の交通について、自動車(しばしば自衛隊関連の車両)が走っておりアスファルト舗装は概ねされています。祖納集落ではレンタカーや原付バイクを借りることができ、この道路を走ることができるほか、宿やレンタカー店で自転車を借りることができます(なお自転車は坂の起伏が激しいのでおすすめはできない)。なお、集落を出ると馬の放牧地となっており、その境界線には馬の脱出を防ぐテキサスゲートが設けられています。f:id:unknownhuman12340:20240329215631j:image幅約10~15cmほどの溝があり、そこを通る際にはパンクなどに気をつける旨がマップに記載されています。

1-1-3 与那国島の宿事情
離島には電話予約専用の宿が多いそうです。私も実際に与那国島に着いてから宿を取るかという無計画さ(現実としては楽◯travelで見つけられなかった)で来て、なんとか見つかったものの、宿探しには少し手間取ってしまったので、やはりあらかじめ予約してきたほうがいいですね。取れなかったら日帰りになります。

泊まった宿はネコチャンがいました。与那国に限らず沖縄は猫が多いのです。f:id:unknownhuman12340:20240329220028j:image
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宿は祖納に集中していますが、何軒かは比川や久部良にもあります。「日本最西端の宿」は久部良にあります。
ちなみにですが、宿に泊まる際には窓を締めていきましょう。南国ゆえにしばしば唐突のスコールがあって、雨が吹き込んできて全部濡れるので(実話)。

2 島の文化・信仰・住居

2日目はもっぱら島を自転車で疾走しまくっておりました。ママチャリを借りたのですが、起伏の激しさ故にやたらきつかったのを覚えています。そのなかで見た様々な興味深いものを紹介します。
琉球建築
与那国はやはり沖縄ということで、沖縄の赤い琉球瓦を用いた建物が多く見られるほか、入口にはヒンプンと呼ばれる石壁が立ち、邪の侵入を防ぐとされています。シーサーはいる建物といない建物がありました。

f:id:unknownhuman12340:20240329220123j:imagef:id:unknownhuman12340:20240329220218j:image
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また、石敢當も交差点に多く見られます。このように石碑状のものが多いですが、しばしば壁に埋め込まれたものも見られます。
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与那国民俗資料館
ちなみにですがgoogle mapでは「民族」になっていますが、看板などに見える正式名称は「民俗」です。f:id:unknownhuman12340:20240329220150j:image
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こじんまりとした資料館ですが、与那国島という一つの隔離された島に形作られた独特の文化・民俗・生活がよくわかります。また、館内はスタッフの男性が説明してくれ、資料も見せていただけます。

石垣島八重山博物館と比べてみても面白いですが、石垣島よりもさらに異なる民俗があります。2つほど挙げてみましょう。
1️⃣ カイダディ(カイダ文字)
与那国島にかつて存在した文字。明治時代に日本領となり学制のもと急激に使用されなくなりました。特に交易に関連する事物を象った表意文字で、それによる記録が資料館に残っています。なお与那国方言は話し言葉なのでカイダ文字とは異なりますが、方言自体は島の高齢の方と話せば特徴的なアクセントなどが見出すことができます。f:id:unknownhuman12340:20240329220305j:image

写真に見える本は『与那国の歴史』という本で、池間栄三氏によって著されたほぼ唯一の資料となりうるものと思われます。何を思ったか買わずに帰ってきたので後悔しているところですが…


2️⃣ 米軍占領期の道具
1972年まで沖縄は米軍によって占領されていたわけですが、与那国島も例外ではなかったわけで、そのころの道具が展示されています。私にはむしろ、米軍占領期の金銭レートの話が興味深かったのですが、沖縄本島与那国島はあまりにも距離が離れているためドルの価値が異なってしまったということで、それを段階的に変化させていったそうです。
なお、与那国島にはDiDi与那国交流館もあります。今回は訪れられなかったのですが、今度行く機会があればぜひ訪れたいところです。

 

御嶽
御嶽(与那国ではウガンと読む)は、一般的には南西諸島各地に見られる聖地で、日本領となってからは鳥居が設けられるなど神道との融合形態が見出されます。
ところで御嶽は、上述のように与那国ではウガンと読まれますが、よく知られる沖縄本島ではウタキと読まれ、石垣島竹富島ではオンと読まれるなど、かなり地域差があります。しかしいずれも聖地としての地位は同様で、入口には鳥居(ないところもある)、建物(ないところや自然に還りつつあるところもある)があり、そこで祭祀が行われます。
与那国島には御嶽が15箇所ほどあると言われていますが、特に主要とされるのが祖納集落にある十山御嶽とされています。f:id:unknownhuman12340:20240329220341j:image

鳥居をくぐると、広い敷地の中央に琉球建物の社があり、そこを起点に祭祀が行われるようです。
なおここ以外の御嶽も探してみましたが、おそらく石造りの小さな御嶽であろう建物こそあれ、自然に還りつつあるところも多く、これは与那国町でも取り組んでいる問題のようです。おそらくかつては集落ごとに存在していたものの、集落の消滅とともに失われたのかもしれません。
ちなみにですが、久部良集落の外れにある鳥居と社は、御嶽ではなく金比羅神社です。

浦野墓地群
祖納集落の裏手には、海に吹かれて荒涼とした草原のなか、沖縄特有の墓地である亀甲墓が多く並ぶ墓地群があります。f:id:unknownhuman12340:20240329220539j:image

亀甲墓はさながら豪壮な邸宅のような外観で、しっかりとした亀甲状の屋根のある石室に(伝統的には)遺体が安置され、その正面には祭祀スペースがあります。したがって伝統的には風葬が行われていたことを伺い知れる風習ですが、現在は病院において死去し、そのまま火葬されることが一般的になっています。また、写真から見られるように、亀甲屋根の上には本土の墓のような四角い石碑がしばしば見られ、管見では与那国に特徴的だと思います。石垣島などでは見られないものでした。
興味深いことに、写真をよく見ると分かるように墓はだいたい同じ方角を向いています。無論例外もいくつかありますが、入口を西に向けた墓が多くあります。これは風水の関係によるものと思われます。
ところで墓地群でひときわ目を引く巨大な建物がありますが、それは「一億円の墓」と呼ばれる与那国島の実業家の墓です。f:id:unknownhuman12340:20240329220542j:image
琉球の伝統的な泡盛という一種の焼酎は、祖先祭祀の一環として御嶽などに奉られたほか、このような葬祭において振る舞われるものでした。一般的な泡盛は飲食や供物等に用いられますが、殊に与那国では60度の泡盛、特にこれは花酒と呼ばれるものが製造されています。この極端に強い度数の泡盛は棺に供えられたほか、一定期間が経過すると取り出し、風葬で露わになった骨を洗うために用いられていたとのことです。ほかには酒宴に供されるほかは一種の消毒液として用いられていたそうです。

泡盛タイ米から作られており、味はクセがあり、舌の中央に感ぜられる独特の苦みとかすかな甘味があります。

3 島の自然

与那国島は文字通り絶海の孤島であり、周りは海に囲まれています。それによって保存されている自然も美しいものです。

西崎(いりざき)・日本最西端の碑
西側の岬で、上の日本最西端の碑があるほか、灯台もあります。日が沈むので「いりざき」なのかもしれません。ちなみに文字通りの日本の最西端は、西崎から見えるこの岩礁です。f:id:unknownhuman12340:20240329220646j:image
言わずもがなですが、与那国島は日本最西端の島なので「日本最西端の碑」があります。f:id:unknownhuman12340:20240329220705j:image台湾が日本最西端だという思想の強い人には受け入れがたいかもしれませんが)久部良集落の漁港の端のほうからまっすぐ行き、坂を登って海岸の高台に行くと、このようなこじんまりとした石碑があります。
夕暮れどきに行くと、日本で最後の夕日が沈んでいくなかで日本最西端の碑も一緒に見るという貴重な経験ができます。

東崎(あがりざき)
東側の岬で、日本最西端の東側、日が上がるところなので「あがきざき」なのかもしれません。灯台があるほかは草原が広がっており、与那国馬が放牧されています。f:id:unknownhuman12340:20240329220744j:image
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与那国馬
日本の在来馬で、ポニーくらいの小柄な馬です。聞くところによると、顔に白い模様があるのが外来種との交雑種らしく、模様がないのが純血種らしいです。馬は島のほぼ半分を占める放牧地帯に多数生息しており、島民の生活区域になっている北部および集落の境界にはテキサスゲートが設けられており、馬が集落に入らないようになっています。f:id:unknownhuman12340:20240329215603j:image
バスに乗るとテキサスゲートを超えて南部に入ります。南部は馬が放牧されているので、バスから馬を眺めることができ、バスの進路を馬が塞ぐということもよくあります。

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ちなみに与那国馬には、本土では伊豆大島で会えます。


岩々
与那国島の近辺には海による侵食で形成された岩があります。これは「立神岩」と呼ばれるものです。他にはサンニヌ台と呼ばれる岩もあり、島付近の海の浸食作用の強さが伺われます。f:id:unknownhuman12340:20240329220856j:image
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島の中央部にはティンダバナ地形と呼ばれる断崖があります。今回は登ってはいませんが、祖納集落が見下ろせるらしいです。島が断層の隆起によって形成された事がよく分かる地形です。f:id:unknownhuman12340:20240329215851j:image

与那国島というと、比川集落の付近の海底に、俗に「海底遺跡」とよばれる海底地形が有名です。自然地形にしては直線的な、したがって「人工的な」岩石加工の痕跡が遺跡たる所以と言われています。しかしながら、地質が同一であろうサンニヌ台や立神岩などを見ると、岩の性質として直線・平らに削れやすいというものがあるように見受けられます。したがってやはり海による浸食作用によって形成されたものと言えるのではないでしょうか。人工的な地形にしては人間が使うには巨大過ぎるとも言えますが、地質学的な調査も必要なのではないかとも思います。

 

星空
島のほか街明かりが少ない与那国島は、晴れる日が少ないものの星空が非常に美しいところでもあります。特に与那国島は、北回帰線のわずかに北に位置しているため、本土では殆ど見られない南の天体も見られます。12月から6月には南十字星が見られるというのもよく知られていますが、私は11月に行ってしまったので見られませんでした。そのかわりに見られた薄い天の川と桁違いの星の数々は、関東地方の光に汚れた空では観測できないほどで圧倒されたものです。
しかし重大な欠点としては1年を通して晴れる日が少ないほか、特に5月~6月はある程度の滞在をしなければならないと思います。

海も当然綺麗です。そもそも砂が違うので、本土のような黒っぽい砂浜にはならないのです。f:id:unknownhuman12340:20240329221246j:image
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ところで、この緑色の謎の貝(?)ってなんですかね…?次の写真はこの緑色の貝が残した足跡です。
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ちなみに漂着物も多くあり、しばしばハングルばかりだったり中国語だったり、国際色豊かです。

4日目:石垣島竹富島

3日目は朝に与那国島を立ち、石垣島へ行きました。f:id:unknownhuman12340:20240329221012j:image
かつての旧石垣空港では羽田から石垣島への直帰(直行はできた)が不可能で、行くのが困難だったわけですが、新石垣空港になってから羽田からの直帰ができるようになったほか、LCCのピーチエアラインが就航して行きやすくなった島です。
石垣島は、付近に西表島竹富島をはじめとして、離島からのさらなる乗り継ぎを必要とする所謂二次離島を数多く抱え、市街地にある離島ターミナルからは各島への高速船が就航しています。f:id:unknownhuman12340:20240329221429j:image
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この離島ターミナルには(土地柄)尖閣諸島に関連する展示がありました。f:id:unknownhuman12340:20240329221533j:image
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尖閣諸島はしばしば揉めていますが、その是非はさておくとして、石垣島の居酒屋に行くと尖閣諸島近海で取れたマグロが食べられます。(国際問題的な意味で)珍味です。


私は石垣島を巡るか離島へ行くかを検討した結果離島へ行くこととし、竹富島へと向かいました。ほんの1、2時間程度の急ぎ足の短い滞在でしたが、それでも竹富島の一片をうかがい知ることができたのではと思います。

1 竹富島

言わずと知れた竹富島は、美しい「星の砂」からなる白い砂浜と碧い海や、舗装されていない白い砂利道と琉球建築が残る島です。それもさることながら、やはりここにも伝統的な文化は息づいています。

島へは、300円程度の入島料を払うことができます。奇妙な言い方ですが別に必須というわけではないからというのと、竹富島の文化や自然を保護するために使われるらしいほかに、払うと入島証がもらえます。

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f:id:unknownhuman12340:20240329221606j:image先島諸島の各島で見られる琉球建築ですが、竹富島のものは特に美しく整備された琉球建築だと思います。f:id:unknownhuman12340:20240329221603j:image

なごみの塔と言われる塔です。老朽化で立ち入れなくなっていますが、登ると島全体を見下ろせたようです。
島内はレンタサイクルや水牛が主な交通手段となっています。レンタカーもあるようですが、舗装された道路は島の外周を回るのみで自動車が役に立つようなところではないと思います。また水牛車が運行されており、google mapでもルートとして提案される程度には公共交通機関としての性格があるようです。
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御嶽
竹富・石垣近辺の御嶽(この地域では「オン」と読む)は数多く、竹富島の小さい島には28あると言われています。どの御嶽も建物がしっかりしている印象があります。見た範囲での御嶽を以下で紹介しましょう。
1️⃣西塘御嶽
西塘御嶽は、竹富島出身の偉人である西塘を祀る御嶽として崇敬を受けており、近年改築されて綺麗になっています。f:id:unknownhuman12340:20240329221705j:image西塘は、琉球王国の時代の八重山諸島という辺境にあった竹富島から立身出世し、そして八重山諸島の行政官として竹富島に戻り、後に石垣島で行政官として生涯を終えたという人物です。彼の愛郷心の強かったことは、現在の竹富島でも敬われていることからも伺い知られます。

2️⃣3️⃣世持御嶽・玻座間御嶽
世持御嶽は特に大規模な御嶽となっています。旧暦9月に賑やかな祭祀(種子取祭)が行われるためで、広場のほかにおそらく屋根の骨組みが設置されています。f:id:unknownhuman12340:20240329221722j:image
付近には玻座間御嶽もあります。ここで祀られている根原金殿は、農耕をもって島内の村を開いた偉人であり、そして世持御嶽の付近にあるように農耕の神として崇められています。f:id:unknownhuman12340:20240329221739j:image

海辺
竹富島といえば海と白い砂浜も著名です。サンゴ礁でできた島と有孔虫の遺骸である「星砂」は、含有成分の炭酸カルシウムによって白くなっているわけです。そして東京の薄汚れてゴミが流れている汚い海ではなく、サンゴによる遠浅の澄んだ海は一度訪れる価値はあると思います。f:id:unknownhuman12340:20240329221805j:image
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住宅街
琉球建築で有名な住宅街です。赤瓦にシーサーが乗った建物は、中学社会や地理の教科書で必ずと言っていいほど「沖縄の伝統的な建築」として掲載されています。f:id:unknownhuman12340:20240329221928j:image
f:id:unknownhuman12340:20240329221924j:imageしかし実際のところ、このような琉球瓦を用いた琉球建築が島全体に広がったのは1970年代からで、それまでは富裕層などに限られていた高級な建築であり、庶民の住宅はほとんど茅葺きだったようです。それを示す写真が竹富港にあり、割と衝撃的だったのを覚えています。

赤瓦建築は沖縄の地域性を示す住宅という紹介がよくされますが、考えたら赤瓦は仮にも瓦であって、台風で飛ばされようものなら瓦を作るところからになるので、修繕がかなり大変です。そうすると茅葺きのほうが合理的にはなるわけですね。

2 石垣島

石垣島は正直宿泊くらいの通過点ではあったものの、多少時間はあったので、石垣市街地に限って歩いて色々見ました。

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これは島蔵元の跡です。早い話が琉球時代の役所の跡ですが、石垣島八重山諸島で最大の島だったということから、このような出先機関が置かれたわけです。

また、八重山博物館も非常に興味深いものでした。行ったときにはたまたま特別展が行われており、蔵元の絵師による絵図が展示されていました。
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勾玉は、本土ではヒスイ等を使って作られる小型のものが多いですが、八重山諸島では焼き物で大型のものが出土するようです。
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民俗資料も特徴的ですが、本土とのつながりもやや感じられるような気がします。
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葬送儀礼についての展示もありました。先述したように八重山諸島では特に「洗骨」という風習があり、酒などでもって風葬後の骨を洗って再度埋葬する風習がありました。今は火葬がほとんどとなっています。
御嶽(石垣島ではオンと読む)もかなりの密度で分布しています。
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上は長田御嶽です。この付近にも数多くの御嶽があります。

私は基本的にスピリチュアルを信じないのですが、こと美崎御嶽に限っては入口の鳥居が破損しているということや鬱蒼とした森に囲まれていたことから何かしら感じるところがあり、鳥居の外から拝むことに限りました。

また、日本最西端の禅寺なるところがあり、ローカライズドされた寺院建築が非常に興味深いところでした。

4 総括

以上のような旅程を11月の頭にやってきたという旅行記でした。
ふつう沖縄というと、沖縄本島美ら海水族館を見たり首里城を見たりといったことをするでしょうけれども、そんなことはせずとにかく西進をするという逆張りルートをしました。
ともかく、特に与那国島の2泊3日間や竹富島の景観は、日本各地を巡った私としても極めて強く印象に残ったものでした。沖縄へ行く機会があれば、今度は1週間~10日程度の日程を取り、大東島などや有人島最南端の波照間島と合わせてぜひまた訪れてみたいところです。

2021年銭湯同好会の活動記録

今年行った銭湯です。個人的な趣味で温泉付きの銭湯ばかりはいっている気がします。

都内の銭湯については、最寄り駅と徒歩の時間を記しておきます。

1.姫之湯(箱根)f:id:unknownhuman12340:20211211180143j:image

箱根の大平台温泉にある銭湯です。中はカランと浴槽のシンプルで、非常に熱かった記憶があるけれども、朝に入ったのですっきりしました。

2.錦湯(京都)
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京都のど真ん中、錦通から入った路地にある銭湯です。この時は真夏で、泊まっていた宿がシャワーしかなく、調べていたらあったので入りました。中はすげえ古い感じで、靴入れ(靴箱ではない)になっており、日本の昔の銭湯はこんな感じだったのだろうと思い起こさせるものです。

3.改正湯(蒲田)
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大田区の銭湯巡りをし始めて一回目をここにしました。大田区や品川区、目黒区の銭湯は、普通の水道や地下水などを使っているところもありますが、多くの銭湯が黒湯の温泉(温泉とはいいつつも成分的にそうであって、普通に冷たい)を使っており、その名の通り、湯が、場所にもよりますがコーラやコーヒーくらい黒いことを特徴としています。

改正湯は黒湯と、ほかに微炭酸風呂などもあっていろいろな風呂が楽しめるところです。

最寄り駅:蒲田駅から徒歩10分程度、工学院大学付近の住宅街

4.桜館(池上)
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ここも黒湯を使っています。写真ではコインランドリーしか写っていませんが、この裏に入口があります。向かい側にちょっとしたお食事処があるのは気になりますが、行ったときは感染拡大中だったからか休業日だったからかは不明ながら、営業していなかったような記憶があります。焼きそばなんかがおいしいらしいです。

最寄り駅:池上駅、踏切を渡って徒歩10分くらい

5.ますの湯
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銭湯というと、なんか古くて薄汚いイメージがある人は多いような気がします(偏見)が、この銭湯はすげえきれいです。最近リニューアルしたらしく、銭湯には珍しくサウナは無料で、さらにシャンプーやボディーソープも備え付け、さらに駅の目の前なので入りやすいところだと思います。また、例によって黒湯を使っていますが、色はやや薄いです。

最寄り:久が原駅、降りて右に曲がって線路に少し沿ったところ

6.清水湯(武蔵小山)
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見た感じスーパー銭湯のようですが、¥480で入れる銭湯です。石鹸の類は備え付けはないものの、見た目にたがわず実際に風呂も大きく、内風呂の黒湯と半露天の黄土色の温泉という形で温泉が2種類あり、豪華です。ちなみに、前者は大田区などでもよく見られるもので、湧出域はおそらく浅いもののようですが、後者は地下深くボーリングしたら出てくるもののようで、しばしば「太古の海水」みたいに言われているものと多分同じようです。

最寄り:武蔵小山駅から徒歩10分程度

7.調布弁天湯

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黒湯が多い大田区には珍しく、ここは黒湯ではない温泉です。メタケイ酸の含有量で温泉に認定されているようで、黒ではなく薄い茶色が特徴的なところです。その成分と熱いのが特徴的ですが、私はこの銭湯から出たらよく眠れたので、よく疲れが取れるのではないかと思います。

最寄り:御嶽山駅から雪が谷大塚駅方向に、池上線の線路伝いに徒歩5分程度

8.別府の温泉シリーズ

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なんかめんどくさくて出していない旅行記をこれから書くので後でも出てきますが、とりあえず温泉総集編ということで出さないわけにはいかないということで、別府の温泉です。

別府市は言わずと知れた温泉の街で、まず駅前からして温泉が湧いている(手湯)状態です。なんなら近くの銀行にも温泉(といっても冷たい)が湧いているくらいで、市街地のショッピングセンターの地下にも足湯があったりするくらいにはたくさんあります。

まず別府の北浜温泉からです。北浜温泉は別府市街地にあり、交通の便の良さから多くのホテルが立ち並んでいます。いわゆるカプセルホテルでさえも温泉を引いて売りにしているくらいには湧出が多いようで、さすが別府温泉といったところです。

そんな中でもやはり銭湯というのはあり、市街地から少し外れた路地、付近には風俗街かなんかで客引きもいるようなところではありますが、立派な唐破風の建築物(写真は暗いのと入口だけなので全くそうは見えないけれども)を供えた竹瓦温泉があります。

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面白いことに、竹瓦温泉は石鹸などというものはなく、純粋に風呂だけというところです。ただ、源泉かけ流しの浴槽には温泉成分が多く付着していたのが印象的です。

竹瓦温泉は海の方でしたが、同じ別府でも山の方に行くと、血の池地獄などが有名な鉄輪温泉があります。鉄輪温泉には、いくつか共同浴場のようなものがあり、100円くらいで入浴できるところがいくつかあったり、蒸し湯なるところもあったりいろいろ面白いところですが、私はたまたま目に入ったすじ湯温泉に入りました。ここも石鹸の類はない、というより使用禁止という徹底ぶりです。f:id:unknownhuman12340:20211211180149j:image

ただ、行ったのが真夏だったこともあり汗で蒸れているので、さすがに気持ち悪いわけで、石鹸で体を洗いたくなったので、鉄輪温泉の山を下りつつひょうたん温泉にも行きました。
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飲泉や吸引泉なるものもできたのでやってみましたが、熱いこと限りないので無理でした。ただ、飲泉の味はすげえ苦いお茶というか鉄というか、独特の味(婉曲)がしたので、飲むより温泉卵に使った方がおいしいような気がします。
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9.奥多摩・もえぎの湯
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ある日突然山奥に行きたくなったので、奥多摩に友人といったときに入った風呂です。

割と混雑していましたが、山(といっても道路沿いだけれども)を歩き回ったあとに入ったのでさっぱりしたのと、山奥の自然やその下に見える多摩川の景色を眺めながら入る露天風呂はなかなか良かったです。

10.志楽の湯(矢向)
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いつも大田区の銭湯なので、たまには川崎にも行くかということで行ったのがここです。実はこの付近には黒湯の銭湯があったりします(道中に煙突が見え、そこに「天然温泉」と書いてある銭湯。今度行ってみたい)が、ここは先ほど触れたような、「太古の海水」を使った温泉です。それゆえ、コンセプトとして「縄文時代」があるようで、随所にそれを想起させる意匠が施されています。温泉自体はうっすらヨウ素の香り(イソジンの香りといってもよいかもしれない)がするものです。よく体が温まるのと、疲れがよく取れるような感じがして帰りは寝落ちする程度にはゆっくりできました。

最寄り:矢向駅の踏切を渡って徒歩10分程度。「天然温泉」の煙突は先述の黒湯の銭湯で、志楽の湯ではない。

11.さやの湯処(志村)
f:id:unknownhuman12340:20211212000038j:imageふと板橋区の方に行ったことがないと思い立ったので行ってみた目的地でもあります。内湯と露天風呂があり、内湯は井戸水、露天風呂が温泉となっているようです。内湯は炭酸泉がよかったです。割と銭湯にもあったりしますが、たぶん私が入ったのはここが初めての気がします。炭酸泉は文字通り炭酸水を沸かしたものですが、38度くらいのぬるい湯でも血行が促進されるらしく、すぐ身体が赤くなります。一方で温泉の方は、黒湯ではなく、黄土色でもなくて鶯色をしているという点で、都内では珍しいものです。

12.乳頭温泉シリーズ(秋田)

これもめんどくさくて書いていない旅行記に後で詳しく書くと思います

①鶴の湯

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JR東日本で「秋田県」の広告でしばしば出てくる温泉は乳頭温泉の鶴の湯です。すげえ山奥にあり、バスで行くところですが、私はケチったのと、山の大自然を感じたいと思ったので、「鶴の湯入口」バス停から延々と1時間程度山道を歩いていました。

秋田藩の陣屋かなにかが今では旅館というか客室となっており、宿泊もできるところですが、私は日帰りで利用しました。温泉には白湯、黒湯(といいつつも実際は白湯と比較して黒っぽい、というくらいで普通に白い)、それと混浴の露天風呂があります。言わずもがなですが、混浴露天風呂には男しかいないという事実はいいとして、この露天風呂の足元は気泡が湧き出ていることから、ここも実は足元で温泉が湧いていることがわかります。

ついで大釜温泉に行きました。外には足湯があったりしますが、カメムシが大量発生しているので死骸が浮いているような状態だったので入りませんでした。一方で中はというと、白濁しつつも薄緑色の温泉で、浴槽の壁には白いもの(いわゆる湯の花)が付着しているなど、成分は極めて濃いようです。f:id:unknownhuman12340:20211212000044j:image

秋田の温泉は、ほかに玉川温泉があるらしいので、機会があればぜひ行きたいところです。

13.はすぬま温泉(蓮沼)
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ここもリニューアルがあったようで、きれいな銭湯です。また、例によって温泉を使っており、黒湯の色が極めて薄いものとなっています。成分自体は黒湯温泉と同じのようですが、引湯しているところが深いからそのようになっているらしいです。浴槽は道後温泉を意識しているようで、特に湯が流れ出てくるところがそのような感じがします。(ちなみに道後温泉の浴槽は結構深いですが、ここはそうでもないです)また、石鹸の類も銭湯の割には備え付けらえているので、手ぶらで気軽に行けるのも魅力的です。

最寄り:蓮沼駅から池上駅方向に線路伝いに徒歩5分程度

14.久が原湯(久が原)

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黒湯を使っている銭湯。特に、ぬるいのと高温のがあって、特に高温の方はすげえ熱いので1分も入っていられないほど。高温のはサウナの間にあり、ぬるいのは奥の洞窟みたいな感じのところにあるので、雰囲気があります。また黒湯以外にも炭酸泉や、私が行ったときはレモンを入れた風呂などがあったり(期間限定)するなど、たまに行ってみたいところです。

最寄り:久が原といいつつも、久が原駅からは遠いし、池上本門寺には近いけれども本門寺自体でかいのであまり近くもない、かといって西馬込駅からもそれなりに離れているといった感じで、一番行きやすいのはバスです。洗足池駅池上駅大森駅田園調布駅などから出ているバスで安詳寺前バス停降りてすぐ。

15.月見湯(下高井戸)
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世田谷区の銭湯です。黒湯ではなく、鉄分が多く含まれているらしく、天然温泉を使った風呂はその沈殿物で赤くなっています。また、源泉は水風呂として使われていますが、こちらは結構な濁りがみえ、やや鉄の香りもします。入口は狭くみえますが、風呂は結構大きいです。また、シャンプーやボディーソープの備え付けもあるのが気軽に行けてよいと思います。

最寄り:下高井戸駅から商店街を通って徒歩10分程度

16.美しの湯(高井戸)

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外見はマンションやスーパーなので、スーパー銭湯の類に見えますが、普通に温泉です。プールもついています(別料金)。温泉は深くからくみ上げられている、透明な茶色をした湯で、露天風呂と内風呂に使われています。内風呂には、温泉とジャグジーがあり、水圧マッサージの水圧がすげえ強烈で刺さるような感じがあって面白いところです。

最寄り:高井戸駅から見える程度にはすぐ。

17.蒲田温泉(蒲田)

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蒲田の温泉といえば、という感じのところで、割と有名かもしれません。その割に普通の銭湯の値段(¥480)です。蒲田の温泉の例にもれず黒湯ですが、きわめて濃いので、ブラックコーヒー並みです。黒湯については高温と低温とありますが、低温の温度がもともと高いようで、高温と同じくらいある気がしますが、いずれもよく温まります。また、黒湯以外ではジャグジーがあり、人工ラドン温泉を作り出しているらしいのです。

最寄り:蒲田駅から環状8号線を渡って徒歩10分程度

 

山梨旅行記

コロナ禍ですが、マスクを外さない、隙あらば手を洗うなどの対策をしたうえで山梨に行ってまいりました。ちなみに10日経ちますが、今のところなんともありません。

まずは山梨県立美術館です。山梨県立美術館はミレーの『種まく人』や『落ち穂拾い』といった作品を収蔵していることで知られていますが、私が行った時にはクールベの作品展もやっていました。

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ミレーの『落ち穂拾い』は春夏秋冬があるらしいですが、ここに収蔵されているのは「夏」で、背景に積もった稲穂の山がほんのり赤く照らされています。さてこの落ち穂拾いとは何かと言いますと、もともと聖書にある故事で、裕福な農家が貧しい農民のために、穂をあえて全て摘み取らないで少し残しておくということだと風習のことで、ミレーはバルビゾンに来てその風習が残っていたことに感激したらしいとのことで、この作品を描いたらしいです。そもそもミレー自身そういった農民の絵をよく描く画家ですが、特にこうした貧農をあえて描くといったことは極めて前衛的であったので、当時の保守的なサロンではあまり評価が高くなかったということです。また、同じことは「種蒔く人」にも言えることで、やはりこれも農民の絵である点で評価が芳しくなかったのです。(と言っても例えばブリューゲルみたいに、ミレー以前に農民を描く画家はいたのは事実です。)

無論今では、ミレーのその画風、特に光の当たり方などに印象派の先がけを見出され、ミレーの評価は当時とは、特に日本においては全く異なります。日本ではこのように、山梨県立美術館が中心的にミレー作品を収集しています。

なお、写真に上がっているようにクールベも、ほぼ同時期の画家です。クールベは特に海をよく描いているような印象があり、もしかすると今回の展覧会がたまたま海ばかりだけだったかもしれませんが、暗く、しかしリアルな海の描き方が印象的でした。

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さて、今度は甲府城です。甲府城舞鶴城(もちろん京都の、港が有名な舞鶴ではない)とも呼ばれます。甲府駅のすぐ目の前にあり、甲府盆地の中で少し高い山(岡かもしれない)の上に建てられているという平山城です。そのため、上るのはすこし大変ではあります。2枚目の門の写真は鉄門と言われますが、2013年に復元されたものです。実際、甲府城に限った話ではありませんが明治時代に多くの城が破却されていまして、それゆえに甲府城には城らしい城の跡が残っていないのです。従って今の甲府城は石垣を除いて復元されたものではあります。

さて、甲府と言えば武田氏、特に武田晴信、信玄、勝頼の戦国大名が有名ですが、武田氏はこの場所に城を建てたわけではなく、この後出てくるように躑躅ヶ館を拠点としていました。この甲府城は、徳川家康の対抗のために豊臣秀吉の命によって建てられたと言われています。織田信長徳川家康と同盟を組み、家康は三河以東、とくに当時強かった後北条から織田信長を守っていたわけですが、本能寺の変ののち徳川家康はそのまま三河以東、特に甲府あたりを領有したのです。すなわち家康は力をもっていたわけで、豊臣秀吉の全国統一に際して、さっくりいうと邪魔だったわけです。しかし、小牧長久手の戦いを経て家康は秀吉に服従し、さらに後北条氏が小田原落城で滅んだものの、甲斐は徳川家の領地のまま残ったのです。

江戸時代になると、甲府城徳川義直とか忠長とといった徳川家が入るようになります。特に、5代将軍の綱吉は甲府城主の綱豊を養子にするなどしています。しかし、このように養子にとったことで甲府城側用人柳沢吉保の手に移ります。柳沢氏は祖先が甲斐出身だったからというつながりとのことでありますが、その子が大和郡山城に入封されると今度は幕府の直轄地になりました。

時は流れ明治時代、中央線の開通や山梨県庁の設置などで甲府城はどんどん削られ、史跡の公園として現在に残っている部分となります。

実際上ってみると、やはり高台にあるので、かつては甲府盆地を一望できたんだろうなとか思います。さらには、盆地の山の隙間からは富士山も覗くなどしていました。

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さて、次に武田神社に行きました。今でこそ武田神社という神社にはなっていますが、かつては上述のように、躑躅ヶ館の跡です。躑躅ヶ館は武田氏の居館としてありました。

ところで居館とは、普段当主が住み込んで拠点としているところです。躑躅ヶ館は地理的にみると、いくら盆地にあるとは言えども平地にあります。すなわち、攻め込まれると守りようがあまりにも少ないので割と危険です。そのために詰城というのがあります。躑躅ヶ館の詰城は躑躅ヶ館の北方の山にある要害山城という山城があります。私はいきませんでしたが、本当に山奥のほうで登るのに一苦労する程度なので、なるほど防御もしっかりしていると思います。

武田神社は祭神として武田信玄が祭られています。さらにその性格上、武田家の様々な物品を保管している宝物館もあります。興味深いのは手水舎の水汲みが武田家の家紋の菱になっていたことです。すげえ推すなあなどと思いました。もう一つ、手水舎には算額がかかっていました。実物を見るのは初めて(と言っても割と最近作られた物ではある)でした。
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甲府に一泊して翌日、小雨の降るなか身延山に行ってまいりました。

甲府からは同じ山梨県内といえども結構遠く、かといって静岡からもそれなりに遠いという、山の中にあります。

駅を降りてバスなり徒歩なりで身延山に向かうと、バスからだったので撮ることはしませんでしたが最初に総門が見られます。そこから境内(?)に入ると、典型的な門前町が並びます。

門前町はその名の通り寺の門の前に栄える商店街です。身延山では日蓮宗総本山ということで、巡礼や参拝目当ての客が多数あります(今回行ったときはほとんどいませんでしたが)。そうした相手に商機が見いだせるというので、飲食店街や土産物屋が数多く並びます。ちなみに、神社前に広がる商店街を鳥居前町と言いますが、これは例えば伊勢神宮の宇治山田とかがそれに当たります。

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参道や門前町を抜けると、いよいよ久遠寺の本体にたどり着きます。こちらは三門です。それをくぐると菩提梯とよばれるやたら急でなおかつ287段もある階段が出迎えます。クソくらえバリアフリー…というわけではなくて、門前町で脇に逸れる道があって、そこから駐車場にいたる道がありますので、そっちに行けばよいわけです。

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菩提梯は287段ありますが、287段は「南無妙法蓮華経」(日蓮宗聖典)の7文字に合わせて、7分割されて踊場に当たる広い段があります。しかしまあなんと疲れることで、上に登りきることはできはしましたけれども、ど真ん中で下りるにも上るにも二進も三進もいかないような状況になりかけた程度には大変な階段でした。多分晴れた日だったらそんなでもなかった気はしますけれども、雨だと段が滑りそうになるくらいですからなのでなおさら大変です…という方のために、脇道があって、これはこれで急な坂ではあるのですが、一応階段よりは楽なルートもあります。

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登り切ったら目の前に本堂があります。先ほどの階段は登り切ったら悟りが得られるなどという話はありますが、正直疲れたという感想だけしかありません。

ところでこの本堂の前に見える柱は回向柱と言いますが、そこには紅白のひもが垂れており、そのひもは、久遠寺の場合は本堂の中の日蓮上人の像とつながっていて、触れ合えるというものです。その昔池上本門寺に行ったときもあったような気がしますが、もしかすると日蓮宗に限らずなんかの記念のときに建てられる(例えば信濃善光寺など)ものなのかもしれませんが、よくわかりません。

さて、身延山久遠寺は、言わずと知れた日蓮宗の総本山です。日蓮宗と同じ時期にできた仏教は俗に鎌倉仏教などと言われますが、例えば曹洞宗は福井に永平寺や、浄土宗の本願寺(今では東西に分かれてしまった)などがあります。

日蓮宗は開祖が日蓮であるというのは言うまでもないわけで教義などは省きますけれども、すが、当時から活動は割と積極的な、あるいは過激な宗派だったと言えるでしょう。例ば時の執権・北条時頼に『立正安国論』を提出するなどしていますし、室町時代の日親は不受不施などを唱えるなどしています。しかし、その総本山は中部地方の山奥の身延山だったわけです。なぜここに落ち着いたのかというと、そういう積極的な政治への関与とその拒絶から鎌倉幕府に嫌気がさしたために、身延に移ったというわけです。そこにいる間は端折りますが、最晩年は病をして、湯治に行こうと常陸に行こうとしたところ道中でついに力尽きてしまったわけですが、その道中というのは東京にある池上本門寺の場所(当時は池上氏の館だった)ということで、今の池上本門寺日蓮宗大本山で、付近にある洗足池の名前は日蓮が休んで足を洗ったからという話に由来すると言われ、さらに池のほとりには日蓮宗の寺院があるなどしています。

久遠寺自体は並みの寺ほどの大きさに見えますが、実際は身延山全体が日蓮宗の関連施設です。すなわち、本堂のみならず各時代の法主塔頭を建てまくったりしているので広いところではありますが、私はすこぶるくたびれていたので行きませんでした。一方で久遠寺の建物自体はたびたび焼失していることもあり、歴史はある寺院ではあるものの施設は新しい感じでした。また、本堂の向かいにはきれいで立派な納骨堂などがあり、全国から遺骨があつまっているようです。

さて、山梨の旅ということで、書くのに1か月かかってしまいましたけれどもこのような旅をしていたのであります。時期柄、感染予防は十分やってまいりまして、1か月たってなにも症状が出ておりませんし、山梨でも感染者数は増えていないので大丈夫だと思います。これからも様子を見ながら旅行に行けると思うので検討していきたいです。

小話

1日目の午後にズボンが股間で破れたことに気付いて修羅場になっていた

このブログの意義等々

別に深刻な話題なんかありません。ただ単に中の人が哲学科にいるというので、このブログの方向性などを改めて考えてみようという大したことない記事です。

 

①内容について

内容は従来通り旅行記と写真、それに関するどうでもいい話(主に歴史とか)なんか書き連ねていくのがメインかと思います。たまに哲学っぽいものを書きたいんですけど、なんか知らんがtwitterで間に合っちゃうんですよね、内容薄いので...

実は一つやってみたいことがあって、高くて仕方がないヒュームのご本の翻訳とか絶版になったロックのご本の翻訳みたいなのをやってみたいんですが、まあめんどくさくてですね...だいたい英弱なんでできるんだかできないんだか...分厚いし...あでもAn Enquiry Concerning Human Understandingsあたりあまりページ数多くないしやりやすいかなぁ...どうかなぁ...ってかんじです。その前に読んでくれる編集者的な人がいるんだかいないんだかなのですよ、コメント欄でできなくもないですが...

 

②更新頻度など

気まぐれなので頻繁だったりそうでもなかったりすることといたしましょう。わかんね。

 

③その他

noteには移動しません。めんどくさいので。あれって書いて読まれたらお金もらえるんですか?知らんけど

 

最近見る夢

最近見る夢というのはなんぞやというのは、実は続き物なのです。

いつかは忘れましたが、夢の中で私は裏カジノの現金輸送をやっていることになっているのです。それこそ某福本漫画のアソコみたいな感じですが、そこからカジノと同じグループが実は経営している銀行に現金を運ぶわけです。全く某福本漫画そのものです。

これがある日見た夢で、第一回にあたります。

しかしある日、私はあるヤクザグループに目をつけられ、マージンを要求されます。1%だかいくらかを帳簿を書き換えて、その分をそいつらに渡すわけですが、実は私もそのとき奴らに唆されて中抜きをする様になります。従って2%、そうは言っても運ぶのが大金なので100万くらいが引っこ抜かれることになります。未だバレてはいないのですがどうなるのかヒヤヒヤしているというところです。

これがついさっき見た夢で、第二回にあたるといえます。

さて第3回にはどうなるのかがきになりますが、もう見たくないので勘弁して欲しいです。

 

伊豆の旅〜③交通オタ的視点

伊豆の旅を鉄オタ的な視点から語ります。

実際鉄道に限らずバスとか船とかのオタクもやってますが、今回は鉄道しか乗っていないので、必然的ニ鉄道の観点からになるわけですが、撮り鉄ではないので、写真などという気の利いたものはございません。あしからず。

私はこのたび、行きも帰りも同じルートで行ったわけですが、私は私鉄沿線に住んでいて、JRで東海道方面の最寄駅は東海道線の列車が止まらず、川崎まで出なければなりません。しかし、しかしです。川崎まで出るよりも、横浜まで出た方が私鉄なので安く済むことから、横浜から東海道線に乗るというルートを取ったのです。

しかし、実はこれは2番目に安いルートで、実は一番安いのは相模大野を経由して小田原から出ると、小田原まで私鉄なので安いというのがあります。しかし乗り継ぎが不安だったので、割と勝手知ったる上記のルートを取ったのです。

横浜からは東海道線です。上野東京ラインなどとも言いますが、横浜に来てしまえばほとんど関係ありません。横浜からは、戸塚、大船などを通り過ぎて行きます。国府津では東海道線の旧ルート、富士山の山沿いを走る御殿場線が分岐しますが、そんなこと気にせずとにかく進んでいきます。ちなみに御殿場線は沼津で東海道線に合流するので、この旅行で使えなくもなかったのですが、なんせ単線で山がちと来たら時間がかかってしまいそうなので敬遠したのです。そうこうしているうちにお猿の籠屋の小田原を過ぎます。箱根へのルートでもあり、大雄山線なるものが分岐して行きますが無視して進みます。すると東海道線箱根山の麓、一気に山がちな地形になりますが、しかしすぐに海が見えてきます。早川〜根府川など、青空と海と道路と鉄道という取り合わせの風流さで割と有名な撮影スポットや、根府川駅の、割と高台にありすぐそこに迫っているように思われる海の絶景などで有名なところなどを通り過ぎると、横浜から1時間10分ほどで静岡県熱海駅に着きます。

熱海駅では、伊豆半島東海岸沿いを走る伊東線と、伊東駅から先、河津や下田まで結ぶ伊豆急行が分岐しています。最近こちらの路線には、特急のサフィール踊り子が設定されるなど、JRや東急(伊豆急の親会社)による伊豆半島東海岸の観光開発が進んでいます。しかし私は修善寺のほうに行くにあたり三島に向かうため、ここで乗り換えます。

乗り換えたのは沼津行きです。熱海駅での東海道線はたまに静岡や浜松行きもありますが、かなりの本数が熱海、函南、三島、沼津のほんの4駅をピストン輸送する列車です。ちなみにこのうち何本かは上野東京ラインとして、宇都宮線方面に(から)直通していくものがあります。高崎線方面に(から)は行きません。

さてこの沼津行き、たった4駅とはいえかなり濃いルートです。まず熱海駅を出てすぐ、函南まで長い長い丹那トンネルを通ります。通過に約6、7分くらいかかるくらいの極めて長いトンネルですが、これにより東海道線の使い勝手が良くなったといえます。先述の御殿場線は、このトンネルができるまでの東海道線のルートなのです。昭和9年(1934年)開通のトンネルですが現役です。いずれトンネルを抜けると、前には掘割に見え隠れしながらも富士山が見え、函南駅に到着します。あまり乗降はありません。すぐ出発すると3分くらいで三島駅です。右手には新幹線のホームがありますが、本数は1時間にこだまとひかりが3、4本止まるくらいです。

三島はJR東海の駅です。なんだったら函南からそうですが、ここで注意しなければならないのは、IC乗車券のエリア跨ぎをしていることです。

熱海まではJR東日本Suica圏ですが、そこからはJR東海TOICA圏です。各圏の「内」でSuicaを使う分には相互利用ができる(例えばTOICA圏内でSuicaを使うことは可能)ので問題はありませんが、問題は7跨ぐ」時にあるのです。問題と言ってもそこまで大したことではないですが、要するに自動改札で通れないので、精算機で切符を出してもらえとか、有人改札に行けとかそういうくらいです。従って、エリアを跨ぐ場合は事前に紙の切符などを買っておくべきだと思います。

さて、三島からは伊豆箱根鉄道駿豆線です。駿豆線は明らかに駿河・伊豆から取られたような名前ですが、実際は三島から修善寺に至るまで全て伊豆国を走る路線です。しかし昔は違い、上述の東海道線の旧ルート時代の三島駅駿河国にあり、後に丹那トンネル経由のルートでこうなってしまったという歴史を考えれば仕方ないことだと思います。水戸線奈良線と似た歴史的経緯があるのです。それはさておきまして、この路線の最大の特徴はとにかく揺れることだと思います。首が折れるかと思うくらいでした。しかし、それよりも車窓から見える富士山はまた良いものです。他にも沿線には伊豆長岡修善寺はじめ温泉が多いことからも、やはり観光に力を入れているのかも知れません。駅舎がきれいになっていたり整備されていました。

なんとなく鉄オタ視点から書いてみたのでそれだけです。オチもなにもございません。