とあるツイ廃のブログ

ツイ廃が140文字で抑えきれないなにかをただかきつくるもの

日本半周フェリーの旅③

さて、最終日です。北海道を離れた私は、さんふらわあさっぽろで関東地方に帰ります。f:id:unknownhuman12340:20200225111856j:image
f:id:unknownhuman12340:20200225111851j:image前も1回乗ったことがありますが、航路が結構便利なのでまた使いました。さんふらわあさっぽろは前も書いた通り、2017年就航で、新造船が結構多い今回の船旅で一番新しい(しまんと:2016年、すずらん:2012年)船です。ロビーが毎度毎度いい香りなのです。それはさておき、今回は低気圧の接近により、なんと日本海よりも揺れる太平洋でした。酔わなかったのでよかったものの、書いている時も陸酔いして、降りた後も揺れている気がします。船の中は新日本海フェリーオーシャン東九フェリーを足して2で割って、そこからフロントサロンを引いて雑魚寝スペースを足した感じです。やはり移動に特化した感じだと思います。

さて、茨城に着いたあと、私は実家で1泊し、水戸で用事があったので少し行き、そして弘道館偕楽園に参りました。f:id:unknownhuman12340:20200226202129j:imagef:id:unknownhuman12340:20200226202144j:imagef:id:unknownhuman12340:20200226202154j:imagef:id:unknownhuman12340:20200226202211j:image弘道館は言わずと知れた水戸藩校、幕末には攘夷思想を醸成する元となったところで割と有名かもしれませんが、実際は小学校から大学、ひいてはそれ以上の生涯学習を旨とする学校で、江戸時代中後期の水戸藩主・徳川斉昭によって設立されました。文武両道を目標とし、写真の4枚目、手前の広場は講武所のようなもので、ここで武術の試験かなんかをしていたようです。当時はもっと敷地があったようで日本最大の藩校だったようですが、現在は旧水戸市役所や茨城県立図書館などが旧敷地におかれ、当時の建物はこの程度しか残っていません。それもそのはず、戊辰戦争の中、明治元年弘道館の戦いで、尊王攘夷の新政府軍・天狗党と、旧幕府軍の諸生党による戦闘で焼けてしまい、さらに1945年の水戸空襲でほとんどの施設が焼失してしまったためです。しかし、我々はそのような歴史というのはほとんど注目せず、専ら梅の名所としてここにくるわけです。幕末の、薩長土肥に隠れがちで目立たないものの地味にそれと肩を並べる程度にあった水戸の熱い歴史も学べるので割とおすすめです。ところで最近このすぐ近くの大手門が復原されたことでニュースになりました。弘道館の資料展示室の、大手門のコーナーから見えるので展示室の造りがうまいなぁと思っていましたが、復元されたばかりなので木が綺麗です。f:id:unknownhuman12340:20200226203534j:image

さて、この後は偕楽園に参りました。

偕楽園といえば日本三名園(兼六園・後楽園・偕楽園)の一つとして有名ですが、特にその梅で有名だと思います。ちなみに去年まで入園無料でしたが、今年から¥300かかります。本当にどうでもいいトリビアですが、水戸納豆は偕楽園土産から始まったらしいです。閑話休題偕楽園は臨時の偕楽園駅(赤塚駅水戸駅の間にあり、土休日の昼間に下りの全列車が停車する)や、常磐神社の関係からそこが正門だと思われがちで、人も多くそこからきますが、実際はその裏のひっそりとした、茨城県立歴史館の向かい側の細い道から入るのが実はこの庭園を作った徳川斉昭の意図をよく感じられます。

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さてその意図とは何かというと、ずばり陰と陽の対比です。f:id:unknownhuman12340:20200226204428j:imageこの入り口から入ると竹林に出迎られますが、この鬱蒼として暗い感じのする光景はまさに「陰」の光景と言えるでしょう。

しかし、ここを進むと開けて陽の光によく当たることができる開けた梅林と、そして目の前には千波湖の広がる壮大な光景が広がります。f:id:unknownhuman12340:20200226204606j:imagef:id:unknownhuman12340:20200226204614j:imageこれがまさに「陽」の光景です。

このような意図と、あとおめでたい松竹梅は弘道館偕楽園いずれにもありましたが、そういうわけで、このように入ると偕楽園がよくわかると思います。また、このつくりは全隊として、藩校の弘道館の「一張」と、偕楽園の「一弛」ということも考えられていると言われています。併せて「一張一弛」と言われますが、弘道館の気を張り詰めた学問の世界から、偕楽園のゆったり気を弛める世界の、いわば切り替えを行うという目的のもと作られているわけです。なるほどよくできていると思います。

さて、今回の船旅は①でも述べたように、実は割と不本意なものでした。九州を回って来ていない点で一周していないのでやや気にくわないので、今度はぜひ回ってみたいと思います。しかし、なんせ1週間かかるのです…