とあるツイ廃のブログ

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今更旅行記-⑤奈良

さて、ふたたびの奈良でございます。奈良の魅力に取り憑かれ始めたのもこのころでしょうか。

今回の行程は、

①夜東京発〜②朝京都着〜奈良メイン〜京都〜大阪〜③東京着

というルートです

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まずは春日大社でございます。もとは中臣氏(=藤原氏)の氏神を祀っていたところですが、中世以降は近くの大寺院・興福寺(こちらも藤原氏の氏寺で関係が深い)と結びつき、神仏習合の様子を見ました。興福寺の僧兵は神鏡がついた榊の枝を持ち出して強訴を行なったといいます。

次に平城宮跡に参りました。

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平城宮とはその名の通り平城京の宮殿で、今では近鉄奈良線が横切っています。大和西大寺〜新大宮の間の広大な空き地のようなところは宮跡で、特に現在においては太極殿が復元されています。

さて、ここで平城京について申し上げましょう。平城京は、710年にこれも奈良県藤原京から遷都されたところです。この宮が置かれていた時代は概ね奈良時代と称されていますが、例えば聖武天皇恭仁京難波宮紫香楽宮など、政変の連続に伴って様々に遷都させていますが、やはり結局平城京に還都しました。ところで、平城京には興福寺薬師寺東大寺はじめ、さまざまな寺社があり、勢力を拡大しました。それが長岡京平安京の遷都につながった訳ですが、現在の京都の寺院を見てもわかる通り寺社勢力の完全な排除、というよりかは「既存の」寺社勢力の排除という方が正しいと思います。

そのようにして平城京は、いうなればうち捨てられた、ということです。確かに現在は外京(東大寺とか奈良公園のあたり)が中心地となってしまっていて、平城京の域内に田園風景が広がっていることはそれを裏付けるかのようです。ちなみにこれに比して京都では、街全体で寺社の保存を行い観光地化してきた、ということはまた有名です。

さて、次は薬師寺です。f:id:unknownhuman12340:20190223193654j:image

薬師寺といえば、フェノロサが「凍れる音楽」と評価した東塔や、本尊の薬師如来像が極めて有名です。東塔は現在修繕工事中ということで覆いが被せられ見ることはできませんが、後年復元された(、というのも一度焼失した)西塔は見ることができます。金堂も西塔も最近色を塗り直されたようで、とても鮮やかです。また、薬師如来像についてはまさに白鳳文化の中心的存在として有名です。特徴的なのはその座台で、他と違って特に蓮華などいったものではないわけですが、その彫刻には明らかにシルクロードを通ってきた西方の文化の影響を色濃く感じることができます。やはり当時の奈良というのはシルクロードの東の終点であった、ということができるでしょう。

春先に行ったので梅が綺麗でした。

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薬師寺から1本道のすぐそこ、次は唐招提寺です。

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唐招提寺は言わずと知れた、鑑真和上の造営した寺院ということで広く知られています。金堂には仏像が3体あり、その一体は極めて特徴的な千手観音です。普通千手観音の腕は、「一つの腕で25の世界を救う」とされているので42本程度くらいしかありませんが、唐招提寺のものは約1000本(正確には何本か欠けているのか、953本らしい)あり、25000の世界を救うことになるということになるかもしれませんが、やはりそれだけ徳がお高いと見えます。ちなみにこのように、腕が1000本あるものとしては葛井寺壽法寺のものがありますが、やはりごく少数です。このほかに鑑真和上の坐像(のレプリカ)などもありました。実際教科書通りのものでした。また、正式に僧と認めるための施設、戒壇跡もありました。f:id:unknownhuman12340:20190223194316j:image

さて、次は東大寺、特に正倉院です。中学歴史、高校日本史の教科書などでは必ずでてくる校倉造の最たるものです(ちなみに校倉造の建造物自体は様々なところに、例えば唐招提寺の倉庫などにも見ることはできる)f:id:unknownhuman12340:20190223180449j:image

中には聖武天皇の宝物などが収められていましたが、現在はこの写真の左側にある宝物殿に収められています。教科書で見ると、意外とそこらへんの倉庫のような大きさかと思われましょうが、実際のところは予想外に大きく、初見では圧倒されるくらい謎の威圧感を感じるほどです。f:id:unknownhuman12340:20190223194433j:image

少し正倉院から離れると大仏殿なども見ることができます。

ところでここに行った時は3月の頭であったことから、東大寺においては二月堂で「お水取り」をちょうどやっている時期だったのですが、私はそれを知らなかったのですっかりスルーしてしまったので、勿体無いと思う所存でございます。

この後は北野社の参拝のため(と肉まん)だけに京都に参りました。やはり梅が美しかったです。さすが菅公の詠んだだけあります。f:id:unknownhuman12340:20190223194633j:image

肉まんに関しては、大阪難波名物の551肉まんの京都駅内にある店舗です。f:id:unknownhuman12340:20190223194905j:image美味しいよね。

この後は大阪梅田に行き、バスで東京まで戻りました。